アフリカ諸国へ、さらに100億ドルを融資。温家宝首相がエジプトで開催のシノーアフリカ・サミットで強調。十年前の十倍となった中国とアフリカ諸国との貿易。最近も軍事独裁のギニアへ78億ドルの投資を決めた。
昨日から開催されているシノーアフリカ・サミットの場所はエジプトの北東端シャルム・エル・シェイク(ヨルダン、イスラエルとの国境)。
この地に飛んだ温家宝首相は「貿易は33%増え、中国が育成したアフリカ人のプロは一万五千人に達した。これは黄金より重要だ」と語り、さらに百億ドルの低利融資をおこなうと言明した。
中国は06年までに50億ドルを援助し、マラリア予防、学校と道路建設などに「援助」したと豪語し、昨年の貿易は合計で1070億ドルを突破した。欧米は苛立ちを強めながら中国のアフリカ進出に瞠目している。
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(読者の声)戦前の本です。「米国武官の見たる日・米英大戦争」 (原題 “THE TIDE OF BATTLE”) 。1930年(昭和5年)の本で日本では1932年(昭和7年)刊、1930年代の未来戦を描いています。
山中峯太郎や江戸川乱歩を思わせるエンタテイメントというか活劇ですね。著者は大正12年頃、大使館附武官として日本に駐在していた米国陸軍少佐 フィールディング・エリオット、訳者は海軍大佐 廣瀬彦太。
主人公は米国海軍大尉ジミー・グラント。帝国ホテルのバーでドイツ人の酔っ払い、『僕等は日本のために、すばらしい潜水艦を造っている』との大風呂敷の数々。
それを聞き及び横須賀海軍工廠に潜り込むところから始まる。小説ですからうまく工廠に潜り込み、さらに新型潜水艦にまで乗り込んでしまう。潜水艦は出港し、当然発見され、麻酔を打たれるも麻酔は徐々に効き目が弱くなったある日のこと、ふらつく頭で海図室に忍び込み海図を見るとサンディエゴ大軍港の間近であった。
艦長に見つかるも艦長を倒しピストルを奪い潜水艦を浮上させてしまう。七隻の潜水艦隊の攻撃で米国海軍は大打撃を被るも三隻の潜水艦は沈没。グラントは米軍船に引き上げられる。
かくて突如急襲を行った日本、警告なしに攻撃を被った米国、という激怒の念から、この際どうしても勝たねばならぬ、そして敵を懲らさなければならぬ、という敵愾心が、国民の殆んど全部に亙って、涌然として沸騰していた。(このあたりは真珠湾を思い起こさせます)。
然るに、又一方紐育に於ては、熱心なる平和論者達がいて、ユニオン・スクエアの群集の面前で、こんなことを強調し、演をしているものもあった。
『諸君、此の危機に直面して、吾人のとるべき最も適切なる手段は、只一つしかない。一隻の汽船を仕立てて、之に美しい花卉を其の甲板一杯に積込み、日本の艦隊を迎えるに限る。そして其の船長には、相互の友愛を強調する鄭重慇懃を極めた外交文書を持たせて―斯くすれば両国とも、茲に釈然、戦争の非なるを覚り、忽ち目出たく握手するに至るであろう』
『然り而して我が米国は、其の誠意の偽りでない証拠として、第一着に彼に示すべきことは、残りの太平洋艦隊全部を沖合いに曳き出し、彼の面前に於て、自沈して見せることである』
此の暴論を聞くや、群衆は最早忍ぶことができないで、十分の憤怒を全身に表わし、雪崩を打って弁士に肉薄突貫した。
中国軍が攻めてきたとして、友愛の民主党の鳩ポッポや社民党の福島党首なら言いそうなセリフです。
ハワイではオアフ島陥落、米国太平洋艦隊は大西洋艦隊と合流するまでいったん本土に引揚げるべきとの海軍の意見は入れられず、政府のハワイ救援の命令で出撃。
さらに打撃を被り太平洋の制海権を失う。アメリカ本土の防備は議会が予算を削るものだからまったく貧弱。日本軍は機械化旅団や装甲車まで繰り出しカリフォルニアからワシントン州まで上陸し占領してしまう。
米国の防衛予算を獲得するために実態以上に日本軍を強く描いているようにも思えるが、昭和七年当時の太平洋の海軍力では日本が優勢、後の戦争で真珠湾を攻撃しながらなぜ占領しようとしなかったのだろうか?
アメリカ単独では最早太平洋岸諸州を取り戻すことは難しい。
カリフォルニアに総督として赴任した加々川公爵、実に身辺がだらしない。例の寵妓を連れて来ているという噂を聞きグラントは晩餐会場へ忍び込む。
そこで見たのは横須賀海軍工廠で車内に匿ってくれた謎のイギリス人少女ラマール嬢(実はイギリス情報部の者)。中国人の密偵やらラマール嬢の手引きもあり加々川公爵を拉致しワシントンへ。公爵はなぜか元老会議の決議録を持っている。
その内容を暴露することでイギリスを戦争に引き込むことができる。この辺は第二次大戦でアメリカを何とか戦争に引き込もうとしたイギリスと反対です。
その後の展開は英国、豪州、カナダ、ニュージーランドも参戦。日本海軍は豪州海軍に補給路を絶たれ、米国が南米諸国から買い集めた艦隊により大打撃を被る。
日本の米太平洋岸占領軍はカナダからの攻撃で防戦一方。木高占領軍司令官はアメリカの大都市への爆撃・毒ガス攻撃を宣言するも、戦況はすでに決しており台湾ではキールンを占領され、九州では佐世保を取られ、下関から瀬戸内海まで潜水艦部隊に押さえられる始末。
日本軍が毒ガス攻撃をするならば東京・大阪・横浜、その他の大都市へ爆弾飛行機を飛ばすのは訳はない、と木高軍司令官に伝えられるや司令官は将兵の帰還を条件に降伏し腹を切る。
短期間の限定戦争の結末として、賠償金は日本が払えるはずもないと各国も承知していたので要求はなし(第一次大戦のドイツの教訓でしょうか)。
台湾・琉球・小笠原は米国委任統治領、南満州鉄道は国際管理、日本軍は旅順・満洲から撤退。満洲に関しては支那政府は日本の植民に対し適当なる利権を彼に保証し、且つ付帯事項として各種の通商協定をも作った、とずいぶん日本に寛大な結末です。朝鮮に関しては言及なし。日米が1930年代に戦争をしていればこんな結末もあったかもしれません。
「兎に角、日本の為から云えば、あの程度で戦争が幕になったことは幸福であったと謂わねばならぬ。若しあれが長引いていようものならそれこそ大変なことになったであろう。即ち米国人の虐殺的復讐戦は当然無鉄砲な、残虐な、実に恐怖に値すべき何物かを日本人の上に加えたことであろう。日本は謂わば、戦争から軽く手を引いたわけだ」とあります。
旧時代の戦争では軍人同士の戦いでしたが、大東亜戦争の結末はまさに著者が記したごとく米国の虐殺的復讐戦になりました。
リンドバーグの「孤高の鷲」では南太平洋での戦いが描かれていますが、日本軍が白旗を揚げようが投降しようが受け付けない。2千名もの捕虜は飛行場に連れて行かれ機関銃で撃たれてしまう。豪州軍は日本人捕虜を輸送機から突き落とす。戦陣訓など関係なしに日本軍は玉砕するしかなかった。
サイパン・沖縄の集団自決もアメリカ軍の捕虜を取らない方針が遠因(将校は捕虜を欲しがっても兵は特別休暇でも与えないと捕虜を取ろうとしないとあります)。
それでもリンドバーグは東洋人の方が残虐に思えると書いていますから日本軍がアメリカ兵の首を切り落としたりしたことなどアメリカ人には(現代の日本人にも)理解不能だったことでしょう。三島の自決の際、切腹と介錯が日本人の大多数には理解不能だったように。
リンドバーグは日本軍の立てこもる島を攻撃しますが「原住民を含め動くものはすべて撃て」という無制限攻撃命令。日本軍に協力する原住民は敵性原住民として攻撃対象です。民家には女子供がいるのか、機関銃を構えた日本軍がいるのかわからない。
女子供がいないことを祈ってとにかく弾を撃つ。
マニラ陥落の後、コレヒドール要塞の陥落に関してはルーズベルトの演説が決定的だったという。
短波放送を通じて世界中の米軍に補給を約束しながらフィリピンの米軍には言及なし。見捨てられたと感じた米兵は戦意喪失、食料・医薬品などシンガポールのイギリス軍に送っていたためキニーネが不足しマラリアが蔓延、バターン半島「死の行進」となるのですね。
マニラ攻撃の際、日本軍は放送局爆撃の前日、隣接する病院から患者を避難させるようビラを撒きますがアメリカの新聞では病院が爆撃されたとしか報道されない。南京でも爆撃予告や開城勧告をしたうえでの攻撃でしたから南京大虐殺などありえません。
朝鮮戦争では北からの避難民がスパイの疑いで殺され、ベトナムではベトコン支配地域の村人は敵性住民として無差別に殺されたりもしました。
米兵が農道を地雷探知機で恐る恐る進むなか、天秤棒を担いだ女たちが何食わぬ顔で通り過ぎる写真はベトナム戦争の実態を表しています。サイゴンの米軍将校たちの会話はメイドや料理人などを通じてベトコンに筒抜けだった。イラクやアフガンでもたぶん同じような状況なのでしょうね。(PB生)
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4342 米武官の見たる「日・米英大戦争」 宮崎正弘
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