ちょっと取材メモを見落としていてさっき気づいたのですが、鳩山首相は昨日、都内の都道府県大会で開かれた全国知事会でのあいさつで、気になることを述べていました。以下、話の文脈を理解するために前後の段落も含めて掲載しますが、鳩山氏は確かに「国というものがなんだかよく分からない」と語っています。
…うーん、大上段に構えて国とは何かと聞かれると、咄嗟に答えられないことはあるでしょうが、一国の首相がお公の場で知事たちに「なんだかよく分からない」と言っているのには、やはり当惑させられます。
だって、この人はかつて永住外国人への地方参政権付与を主張した際に「『日本列島は日本人の所有物と思うな』などという発想は、日本人の意識を開くことであり、死を覚悟せねば成就は不可能であろう。
私はそこまで日本を開かない限り、日本自体の延命はないと信じる」(平成14年8月8日付夕刊フジコラム)という哲学を披露していました。
ここまで言い切っておきながら、その自分が開こうとしている国について「なんだか分からない」はないだろうと、そう感じる次第です。
こういう人だから、普天間飛行場移設問題をはじめ国家の安全保障の重要性などがどうしても理解できないのかとも。政治家それぞれの国家観の違いや何に優先順位を置くかに差異があってもかまわないとは思いますが、鳩山氏の場合、「一体何を言っているのだろう。自分の言っていることが分かってしゃべっているのか」と当惑させられることしきりです。
まあ、とにかくその関連部分を紹介します。
《私たちは、ただ政権交代がしたくて政権交代をしたわけではありません。やはり、この国の形を根本から変えなきゃいかん、そんな思いで行動して参った所でございます。私はいろんなご批判もいただいておりますが、友愛社会というものを実現をしたい、そのように思っております。
それは、考え方などがいろいろ違っていても、それぞれむしろ違いというものを尊敬をしながら、違いを認め合う、そしてお互いに補い合う、そんな社会を実現をして参りたいと、そのように思っております。
ということは今までのように、何でもかんでもいわゆる、国というものがあって、国というものがなんだかよく分からないんですが、国というものが力を持って、何でもがんじがらめで、地域を縛ってしまう、そういうやり方は一切やらないと。
むしろそのように達している所でございます。それを私たちは地方分権というよりも、むしろ地方に権利を分け与えるという地方分権ではなくて、地域にこそ主権がある、地域主権の国造りに抜本的に変えて参りたいとそのように思っておりまして、だからこそ私はあえて所信表明の中で、国の政治の役割というものはさほど、むしろ大きくないものなのかもしれない。いやむしろその方が望ましいのではないかと、そのような事まで、あえてその時に申し上げたのでございます。
地域主権、すなわち、地域のことは基本的に地域でかなえられるように、そのようにさせていただくというか、国というものはむしろ、ある意味で、皆さん方が地域でなさることをそれとなく、必要に応じて、それとなく支えることができる、そんな国と地域のあり方に変えていきたい、そのように思っておりまして、それを私たちはいわゆる補完性の原理に基づいて、国と地域のあり方を、むしろ地域があって国があるというような考えに基づいて、行動を強めて参りたいと、そのように感じている所でございまして、私たちは、地域主権を1丁目1番地の思いのように、歩きながらこれから新たな国と地域のあり方というものを、模索をして実現をして参りたいと思っております。》
私もおおむね地方分権には賛成なのですが、鳩山氏のように「国というものがなんだか分からない」ままで、地方主権を主張されると、ちょっと居心地の悪さを覚えてしまいます。政治資金にかかわる法を超越したような奔放な言動とあいまって、日々なんだかなあと頭を悩まされています。
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