4483 田英夫がもらした「秘話」 岩見隆夫

人の死を知った時に何を思うか。とっさに浮かぶこともあれば、しばし沈思して追想の言葉を選ぶこともある。先日、86歳で亡くなった田英夫元社民連代表、ジャーナリストとして、リベラルな政治家として、あるいは元特攻隊員として残したものは、多くの人が語り、報じられた。
ここでは、とっさに思い浮かんだことを記しておきたい。田は談論風発の人だった。江田五月(現参院議長)らと社民連を結成、代表に就任したころだから、約30年前になる。
東京・麻布の地下のバーで懇談した某夜のことを鮮やかに記憶している。話が田中角栄論に及び、田は、「ここだけの話だよ」と断りながら、面白おかしく次のような体験を語った--。
佐藤政権末期、田中は通産相のポストにいたという。1971年夏ごろと思われる。田はTBSを退社し、社会党から参院選全国区に出馬、192万票の大量得票でトップ当選した直後だ。
その日、田は陳情ごとがあって大臣室を訪ねた。田中は話題の人物を機嫌良く迎え入れ、「よし、よし、わかった」とつぶやきながら、かたわらの紙片にメモし、やおら、
「おーい、次っ」と大声をあげた。田が、「じゃあ、大臣、よろしく」
と腰を浮かしかけた、その時だ。田中の右手がさっと伸び、田のスーツの内ポケットに札束らしいものを突っ込んだ。早業である。とっさにこれはまずい、と思ったが、すでに大臣室のドアがあいて、次の陳情客が入りかけていた。返すに返せない。
「カネはあって邪魔にならんよ」と田中の低い声を背中に聞きながら、田は辞去するしかなかった--。帰ってみると、札束は100万円だった。
「あの人、すごいねえ。あれ瞬間芸ですよ。あとに嫌な感じがまったく残らないんだなあ」と田は言った。そんな田中に感服したような口ぶりだった。そうかもしれないな、と当方も共感した覚えがある。
この密室のエピソード、田は文字になるはずがないと信じたからこそ打ち明けたのだろう。だから、当方も長年、暗黙の約束を守ってきた。
だが、亡くなったいま、<戦後政治のひとコマ>である貴重な証言を書くことを、田は許してくれると思う。当時、革新陣営の花形選手だった田に、首相の座が間近の保守実力者が現金を渡す。あのころの100万円は小さい額ではない。
もしその時点で暴露されていたら、田中は首相のチャンスを失っていただろう。だが、そうならない確信が田中にはあった。何万回か、カネを渡してきた経験から、<カネと人間>の機微を熟知していたからだ。
田が残していった秘話を書くべきかどうか、同僚に相談した時、
「角さんは政界のモリシゲ(森繁久弥)じゃないの。モリシゲは女優のお尻を触るのが常習だったが、だれも文句を言わなかった。角さんも相手に抵抗なくカネを渡す術にたけていたということだ」と面白いことを言った。そんなところだろう。角栄・モリシゲの時代は遠くなった、という感慨もある。
だが、戦後60年余の政界は、カネを媒介にした<ぬるま湯>の世界だったことを改めて思わないわけにはいかない。その祭司が田中角栄だった。民主党政権に切り替わっても、残滓(ざんし)があるのではないか。(敬称略)
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