4507 知らなかった「シルクロードの核汚染」 毛馬一三

「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏の卓見「シルクロードの核汚染」を読み、驚愕した。それは、札幌医科大学・高田純教授がNHKに出した公開質問状に一節に、こう記されているという内容のことだった。
<高田教授は、核爆発災害研究の専門科学者として、世界の核被災地を調査してきたが、中国共産党がシルクロードの要所であった楼蘭遺跡周辺での総威力22メガトンの核を爆発させ、世界最悪の災害発生を確認した。
その総核爆発は、広島の核の1375発分。現地では 100万人以上のウイグル人たちが死傷したという。(伊勢雅臣「シルクロードの裏側」より。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/)
しかもNHKはその事実をよく調べもせず、1980年3月に現地入りして撮影し、『シルクロード』を放送。それを見て、27万の日本人がシルクロード入りし、知らずに放射能を浴びて帰ってきた>というのだ。
あの「美しい未知の世界」の映像を見ながら胸躍らせた魅惑の地で、実はそのようなおぞましいことが行われていたのか。NHKではその秘密をしりながら、外部には一切公開していなかったのか。急に胸が疼いた。
その瞬間、当時NHKの「シルクロード取材」に従事し、NHK退職後も「映像通信」の仕事を続けている、NHKで同期だった友人のカメラマンのことを思い出し、電話をかけてみた。ひょっとしたら、何か分かるかもしれないと思ったからだ。
そこで聴けた話は、こうだった。
NHK「シルクロード取材班」は、シルクロードの中国の「天山山脈」を南北に2分した2班に分けられ、
・1班は、長安、敦煌、楼蘭など中国本土を主体とした「草原の道」編チーム、
・2斑は、「天山山脈」の南のルートからのインド、チベット、パキスタン、クルグス、イラン、イラクを結ぶ「砂漠とコーラン」編チームだった。
今考えれば幸いなことに、友人は、後者の取材班に属し、取材の過程で中国国内に何度か足を踏み入れたことはあるものの、肝腎の核爆発地「楼蘭遺跡周辺」にも近づいた事はなく、取材の対象地のほとんどが中国本土以外だった。
当時NHKには、特別スペシャル番組「シルクロード取材班」の特別室が設けられ、それぞれチームのプロデューサー11人とカメラマン10人、合わせて42人が、常時打ち合わせを行い、取材対象やコンテンツを緻密に精査すると共に、現地「中国電子台」からも担当者が来日して協力体制を詰めた。
しかし、あれほど打ち合わせに時間をかけながら、「中国核実験」の話は一度も話題にも、噂にも上らず、恐らく取材チームは誰一人知らなかったのではないかと思われる。
だとすれば、取材先の中国からは、この世界初の「シルクロード」放送を中国自体のプロバガンダに利用することだけに終始し、「国家機密」としては完全秘匿を貫いて、NHKはつんぼ桟敷に置かれていたのではないか。
あるいは、NHKの上層部がこの事実を知っていたとした場合、これを取材班に漏らせばメンバー全員がビビり、現地中国に向かうことを拒否することは必至だっただけに、黙して語らなかったことも想定されるという理屈も成り立つ。
いずれにしてもどちらかではなかったろうかと、友人カメラマンは述懐する。
とにかく、自分が「中国本土取材班」ではなかったことで、被晒の災害を受けなかったことにホッとはしたものの、「中国本土取材」、特に総威力22メガトンの核を爆発させたという楼蘭遺跡周辺の取材をした仲間ことを思うと、被災はなかったのだろうかと胸が締め付けられるという。
そんな中国だったからだろうか。そういえば、取材が総て終わった時点で、撮影に要したカメラやフイルムなど撮影機材一式を中国側に差し出せられたほか、取材に協力した「中国電子台」に取材協力費として膨大な金額を召し上げられるという、悪夢も蘇るという。
イラク・イランの戦争中での撮影も終え、未知の「シルクロード」撮影に誇りを感じていたカメラマン人生に、思いがけない暗い影が突如現れ、心が痛むと友人は悲痛な声を出していた。
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