NHKの大河テレビ・ドラマ「坂の上の雲」が始まった。司馬遼太郎の作品のドラマ化だというが、日露戦争の軍事的な天才・秋山好古、真之兄弟の物語なのであろう。二人は日露戦争を戦った陰の主役たちだが、表の主役は陸軍の大山巌満州軍総司令官であり、海軍の東郷平八郎聯合艦隊司令長官であった。
私たちは”明治人の気骨”とよく言うが、厳密に言えばこれらの将星は江戸時代に生まれて明治時代に活躍した人たちである。その特徴は幼少期から儒教の教えを叩き込まれた寡黙にして自己犠牲を厭わない性格に富んでいた。明治生まれの人たちとは少し違う。
その違いは取り立てて言うほどのものではないのかも知れない。しかし日清・日露戦争を経て、世界の列強への一歩を踏み出した明治生まれの人たちは、世界の中の日本という意識を持ち始めている。近代化によって儒教精神も少しづつ変化している。
分かりやすく言えば昭和生まれというが、昭和ヒトケタ世代と戦後の昭和生まれ・団塊の世代にはやはり気風の違いがある。昭和ヒトケタ世代には敗戦の廃墟から貧しさに耐えて戦後復興を果たした自負があるが、団塊の世代は物心がつく頃には日本は世界第二の経済大国に駆け上がる渦中にあった。すでに儒教精神は薄れて、道徳とか宗教への関心が少なくなった時代背景がある。
NHKドラマを作る人たちは団塊の世代からさらに一世代後の人たちである。「坂の上の雲」のドラマ化は難しいというのが定評であった。今の人たちに”明治人の気骨”や儒教精神を説いても、どれだけ理解されるであろうか。「坂の上の雲」の読み方によっては、日清・日露戦争の戦争史、会戦史になる。
それが単なる戦争史になっていないのは、司馬遼太郎の”司馬史観”ともいうべき独自の歴史観で綴っているからである。厖大な資料の中から”司馬史観”を展開している。それだけに個々の点では、”司馬史観”に対する批判や反論が絶えないのも事実である。
日露戦争の会戦史でいえば、児島襄の「日露戦争(一九九〇年 文藝春秋刊 毎日出版文化賞、菊池寛賞を受賞)」の方が客観的で優れているのかもしれない。児島襄は東大法学部卒、同大学院を出て、共同通信社社会部、外信部を経た戦史研究家、82歳になる。経歴が示す様に「日露戦争」では日本側資料だけでなく、ドイツ、フランス、ロシア語資料を含めた欧米資料をふんだんに使っている。
ただ司馬遼太郎は小説家としての”情念の世界”がある。児島襄は戦史研究家として日露戦争を”客観性”に基づいてたんたんと記述している。一般の読者からすれば「坂の上の雲」の方が遙かに面白いのであろう。
司馬遼太郎は大阪外語蒙古学科卒、産経新聞の記者から小説家になった。小説家の眼と戦史研究家の眼に違いがあるのは当然なのかもしれない。
NHKは「坂の上の雲」の冠をつけたが、内容は秋山好古、真之兄弟という明治人の物語に絞るつもりなのだろう。司馬遼太郎の夫人とはドラマの構成をめぐって、かなりのやりとりがあったやに聞く。
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4508 軍事的な天才・秋山好古、真之兄弟の物語 古沢襄

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