習近平訪日、普天間基地で大騒ぎの日本を尻目に。胡錦涛はカザフスタンとトルクメニスタン訪問でカクカクたる実績。
習近平・国家副主席が皇居で25分、天皇陛下の謁見を許され、世間話をしている時期に胡錦涛・主席は中央アジアのカザフスタンとトルクメニスタンを訪問していた。
何が目的か。或る重要なセレモニーに列席するためだった。
三年前、突貫工事は開始された。トルクメニスタンからはるばるとウズベキスタン、カザフスタンを抜けること1833キロ。トルクメニスタンのガスが中国へ運ばれるパイプラインが完成したのである。
このことを一番「喜ばなかった」のはロシアである。腹いせなのか、ロシアは09年四月にトルクメニスタンからロシアへ運ばれていたパイプラインが途中で爆破されたとして、輸入を打ち切った。何かの報復としか考えられない「爆破事件」だった。
ロシア最大のガス会社ガスプロムは、これまで独占的にトルクメニスタンからのガスを輸入してきた。独占ゆえに価格を一方的に決め、それを西欧へ再輸出してきた。
この独占状態に風邪穴をあけたのは、トルクへぬけるジェイハン・ルートだった。アゼルバイジャンの石油は、このルートからも西側へ輸出されはじめるのが07年である。
対抗してロシアはドイツとの間に「ノルドストリーム」建設を呼びかけて誘い込み、多の西欧諸国にはブルーストリーム建設を提案して、EU諸国の内部抗争を誘い出し、もう一つ西側が建設しているナブッコ・ルートを揺さぶる。
ただしロシアとしてはシベリアの石油とガスを中国へ輸出し、外貨を稼いでいる手前、おおっぴらな中国批判は控えている。
二番目に嬉しくないのは欧米メジャーだった。もともとトルクメニスタンのガスに目をつけ、これをアフガニスタン経由、パキスタンへ1540キロのパイプラインを敷設して西側へ輸出しようとしたのは米国メジャー「ユノカル」であり、その話を聞いてユノカルを買収しようとしたのは中国だった。
タリバン政権の1996年に、いちどこの大プロジェクトは合意され、クリントン政権とタリバン政権との間に合意が成立。ところが98年タンザニアの米大使館爆破で、米国がアフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にミサイルを50発お見舞いしたことで立ち消えとなり、三年後、タリバンが転覆し、カルザイ政権の誕生と共に復活した。と言ってもプロジェクトの合意文書がトルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタンとのあいだに交わされただけで、パイプライン敷設工事はいつ始まるか見通しさえ立っていない。
トルクメニスタンのガスは、南のルートの開拓も97年から始まりイラン向け輸出が少量(年間80億立方メートル)ながら開始されている。これを倍増する工事も近く始まる。
▲ロシアが慌て、ドイツはモスクワと連携し、EU諸国はガス輸入先で喧嘩
中国は大胆にもロシアの見ている前で、トルクメニスタンへアプローチをはかり、1833キロのパイプラインを提案し、了承を得るや、電光石火にパイプライン敷設工事を開始した。
2012年には年間400-500億立方メートルの天然ガスが、中国へ輸出され、この量は従来のロシア向けと同量になる(当初は年間100億立方メートル程度)。
かくてロシアはプーチン企業、世界最大のガス生産販売企業=ガスプロムの独占体制に終止符が打たれた。
胡錦涛は最初にカザフスタンを訪問し、パイプライン開所式に出席した。つぎにアシュガバードへ飛んでトルクメニスタン東部のサランデペ地区の現場へおもむき、最初のポンプのスイッチをいれる。パイプラインの全通を祝った。12月14日だった。
▲世界資源地図も原油、ガス、レアメタルと中国有利に
列席したのは輸出元のトルクメニスタン大統領、通過地のカザフスタン大統領、おなじく通過地のウズベキスタン大統領である。
ベルディムハマデフ・トルクメニスタン大統領は「我々の歴史に金色の出来事が刻まれた」と挨拶した。胡錦涛は周辺諸国に経済発展に貢献するプロジェクトである、と演説し、またカザフスタンとウズベキスタンから、複線のパイプライン工事を追加して、それぞれから年間100億立方メートルのガスを輸入する計画の具体化をすすめた。
中国がガスに執着するのは、将来のエネルギー確保もさりながら、もっかエネルギー源の70%が石炭であり、産業近代化のネックとなっているからである。
中国は産業の整合性も中央の独裁権力が牽引するために、LNGタンカーを自力で建造できる造船能力も備えてきた(二年前から)。
日本の独壇場だったLNG輸送もすでに開始されてはいるが全体のシェアはすくなく、陸上で繋がるパイプラインに魅力を感じるのは、やはり中国人のメンタリティが大陸国家だからでもあろう。
こうして世界資源地図も大きく中国有利に塗り替えられている。
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