共産中国から学ぶべきことはないが、3000年の歴史を持つ中国の古典からは学ぶべきことが多い。最近の鳩山首相の言動をみていると、「信無くば立たず」と思わざるをえない。小泉元首相がよく使っていた言葉である。
「無信不立」・・・論語に出てくる孔子の教えである。現代風にいうと、リーダーたる者は国民の信頼を失ったら、いかに口舌を弄しても信用して貰えないということになる。口舌を弄するから、長々と弁解の言葉を連ねるが、それで余計に信頼が薄れる。
孔子は性善説に立つ、性悪説に立つ韓非子とは対極的な中国の思想。古来、日本では性善説が重く用いられてきた。戦前は小学校で論語が教えられた。弟子の子貢と師の孔子の間で交わされた論語の問答の中に「無信不立」が出てくる。
子貢問政。子曰。足食。足兵。民信之矣。
子貢曰。必不得已而去。於斯三者何先。
曰。去兵。子貢曰。必不得已而去。於斯二者何先。
曰。去食。自古皆有死。民無信不立。
子貢が孔子に「政治とは何ですか」と聞いた。これに孔子は「民衆に飯を食べさせ、軍備を整え、民衆の信頼を得ることだ」と答えている。今風にいえば、国民の生活が第一で、さらには安全保障政策をしっかり立て、民衆の信頼を得ることの三つが必要だと答えた。
子貢はさらに三つの中で一つを無くさねばならぬとしたら、何ですかと聞く。孔子は”兵”を無くすと答えた。このあたりは性善説の孔子らしい。韓非子の思想とは違う。今の中国は”兵”を第一とするから、韓非子型といえる。
残った二つのどちらを無くさなければならないとしたら、どうしますかと弟子は師に聞く。孔子は迷わず”飯”を無くすと答えた。安全保障政策よりも、国民の生活が第一よりも、民衆の信頼が第一だと教えた。
極端なことをいえば、三度の飯より信頼が大事だということになる。政治を行う者にとっては「民無信不立」が根本であるという意味である。
鳩山首相は「国民の命を守る予算を作った」と胸を張った。だが、戦後最大の借金と一度こっきりの埋蔵金を使った危うい予算編成だったから、明日はどうなるのかという不安は払拭できない。
何よりも首相が相続税を納めていなかったことに対する不信が残っている。成長政策なき予算では、ますます緊縮財政に陥るのではないか。
一度失った信用は、言葉を飾ってももとには戻らない。まさに「信無くば立たず」となっている。
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