4690 拉致の実態を前にして政府の脆弱性を痛感する 桜井よしこ

12月6日、東京都港区の「ゆうらいふセンター」で行われた、「いかに救い いかに守るか」と題された拉致と国防に関するシンポジウムに参加した。実際の議論に先立って、全員で約20分間のビデオを見た。主催者である予備役ブルーリボンの会が作ったものだ。
同会は、自衛官OB、即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補によって構成され、北朝鮮人権法の趣旨を踏まえて拉致問題に関する啓発活動を行ない、拉致被害者救出の具体的可能性を探ろうとする純粋な民間団体である。
同会の代表、荒木和博氏は北朝鮮に拉致された可能性が否定できない、いわゆる特定失踪者の調査に関しても地道な努力を続けてきた。荒木氏らは曽我ひとみさんら拉致被害者の証言を基に、実際に工作員らはどのようにして拉致を実行するのか、シミュレーションを行なってみた。拉致する役もされる役も、屈強な予備自衛官が務めた。
曽我さんはお母さんのミヨシさんと一緒に歩いていたところを、背後から来た数人の男たちにあっという間に縛り上げられ、さるぐつわをはめられ、クルマに押し込まれた。シミュレーションでは、縛り上げてクルマに乗せるまでわずか一九秒だった。曽我さん役を演じたのは屈強な男性であるが、それでも複数の男に背後から襲われれば、簡単に引き倒され、足を縛られ、後ろ手に縛り上げられてしまう。
もう一つのシミュレーションは、蓮池薫さんらが体験した事例だった。海岸で襲われ、袋詰めにされるケースだ。これもいとも簡単に実行された。
荒木氏が語った。
「拉致は、向こうがその気になれば、日本の長い海岸線の至るところで可能だということです。海岸線を守る体制がまったくなく、守ろうという気も政府にはないように思えます」
氏は、政府に欠けているのはもう一つ、いかに、拉致されている人たちを救い出すかだと強調する。いま、とりわけ救出作戦を考えなければならないのは、北朝鮮情勢が流動化の度合いを増しているからだ。
たとえば北朝鮮は突然、デノミを行なった。統制経済よりも、闇経済が力を持ち、人びとは手にした現金を貯め込んできた。デノミはそうしたおカネを吐き出させて市場に回し、再び経済を活性化させようという狙いだ。
しかし、新紙幣と交換できる額に10万ウオンの上限を設けたために、多くの庶民の虎の子の貯金が失われることになる。経済の恨みは、金正日政権の崩壊を早める結果につながっていく。
そうしたときに、拉致被害者をどのように救い出すのか、シンポジウムではさまざまな具体論が語られた。荒木氏らが北朝鮮向けに実施してきた短波放送番組「しおかぜ」で、北朝鮮情勢が混乱に陥ったとき、東海岸の特定地点目がけて集結するように呼びかけるというのもその一つだった。海上に船を待機させ、日本人を救出する計画だ。
混乱のなかで、どのようにして拉致被害者らが海岸線まで逃れてくるのか、具体的にどの地点に集合するのか、日本から派遣する船は海上保安庁なのか海上自衛隊なのか、そうした日本の動きは、朝鮮半島、特に韓国の目にどう映るのか、多くの疑問が生じてくる。
本来、こうした事柄は、日韓政府間で詰めるべきことだ。当然そこには米国も入っていなければならない。また作戦を成功させるには情報を収集していなければならない。そしていま、その気になれば情報は取れるのである。多くの脱北者から事情を聞くこと、彼らに、有力な情報にはそれなりの対価を支払うという日本政府の意思を明確にするだけで、それは口コミ社会の北朝鮮に広がり、情報が集まってくる。
民間人が一堂に集い、こんな作戦を議論しながら、国民を守るという国家の基本的役割を忘れ去ったかのような政府の脆弱さを痛感した。(週刊ダイヤモンド)
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