4703 「大計」を持つ国と持たぬ国の違い クライン孝子

SHIMA SEUKI氏の「メデイアの茶話」より
http://vw.wiwi.co.jp/u/media/?y=2009&m=12&d=14&ca1=
<<『大計なき国家・日本の末路』(クライン孝子著・祥伝社刊)

を読んだ。 まず、題名に驚いた。日本の「末路」とはおだやかではない。「沈没」よりも、もっとどぎつい。何故、こんな題名がつけられたのか。 著者は、ドイツを舞台に活動している評論家。ドイツ人と結婚してドイツに住んでいる。そのドイツでの体験をもとに、外から見た日本を論じている。しかし、「末路」という言葉については、さすがに「あとがき」の中で、こう弁解している。 「末路と言い切ることで、読者の気持の中に、奮発する気迫が芽生えてくるのではないか、とも考えた。そうであってほしい、という期待をこめて、祈るような気持で、このタイトルに決めた」 この本を読んだ日本人が「発奮」するかどうかはわからないが、著者の「祈るような気持」はわからないではない。 ■2009/12/27 (日) 日本とドイツは、第二次大戦で同じように敗れた。日本もドイツも、ともに国が焦土になった。しかし堂々たる努力を重ねて、ともに経済的繁栄を謳歌した時期があった。 だが、冷戦が終結してから様子が変わった。「明暗を分けてしまった」と著者は書いている。 国際的に眺めると、現在のドイツはEUの大きい柱として高い声望を得ているのに、日本は逆に国際的な評価=威信が地に落ちている。 何故この違いが生まれたのか。著者の答えは、戦後の歴史の中で、ドイツは国家百年の「大計」を立てて一つ一つの課題にとりくんできたのに、対し、日本はその「大計」を持たずにやってきたからだ。それが現在の両国の違いを作っているのだと言う。 誰でもすぐわかる実例は領土問題にある。日本の北方四島返還は一歩も前進しないのに、ドイツは東西ドイツ合併に成功した。 東ドイツはソ連(ロシア)の占領で作られた国だから、それが西ドイツと一緒になったのは、大きい領土を回復したことにほかならない。 しかしこの成功は、ベルリンの壁が崩壊して自然にもたらされた結果ではない。 戦後のドイツが、長期の戦略(「大計」)を持って対ロシア(ソ連)対策を陰に陽に行ってきたことが実を結んだのだ。 これに対して日本の四島交渉はどうか。何度かのチャンスはあった(東郷和彦著『北方領土秘録』新潮社刊)が、「大計」がなかったために、これをみのらせることの出来ぬ失敗を重ねている。 日本とドイツの違いは領土問題だけではない。国防、教育、憲法、資源問題など、多くのテーマで「大計」を持つ国と持たぬ国の違いがあらわれている。 それが日本の「末路」につながらなければよいが・・・と願う。著者クライン孝子さんの「祈り」には共感する。>>
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