中共では、行政・立法の政治家は「利権屋」、司法の警察・軍隊は「暴力団・マフィア」である。すべては政権・権力という、つきつめれば「暴力次第」で、政権を握ったら政権の意のままにすべてが統治されなくてはいけないというシステムである。
中共と小沢一郎の脳味噌は一緒で、普通にはこれを「独裁」あるいは「全体主義」という。
「普通の国にしたいだけなのだ」と劉暁波は「08年憲章」を起草した。書いてあることは至極もっともなことで、普通の国では猫でも知っている当たり前のことである。
しかし独裁国家の中共では当たり前のことが当たり前ではなく、何と国家転覆罪で禁固11年の判決である。
「政権に逆らうなら辞表を懐に入れてものを言え」と小沢は恫喝した。中共は「政権に逆らうなら禁固を覚悟でものを言え」と恫喝している。
600人を率いて中共に朝貢して恥じないのは、小沢が身も心も中共と一体だからであろう。コキントウと兄弟のようで、コキントウの産みの親は毛沢東、育ての親はトウ小平である。
日本人の小沢がなぜこんな風になってしまったか、ケゲンである。小沢のメンタリティーは「朝日ににおう山桜花」の慎み深く爽やかな日本人の感覚からすると相当離れており、今では傲岸不遜、傍若無人のレベルに達し、天皇陛下さえ見下すまでに増長慢心しているが、産みの親が「角栄」、育ての親が「金丸」だとこうなるのだろうか。
この2人の親は「権力がすべて」「金力がすべて」「選挙がすべて」で、それでどういう子供が育つかという、いい例がマキコである。一種のバケモノで、小沢と兄妹のようである。世の中には敵か味方か下郎しかいないと思っている。
鳩山家も似たようなもので、鳩ママからの毎月のお小遣い1500万円を「知らぬ存ぜぬ」と嘘八百で逃げ切ろうとしている。モラルなんてありゃあしない。確信犯で、小沢、マキコと同様のバケモノである。
バケモノがヒトラー同様に民主主義的な選挙で権力の頂点に立ち、ヒトラーはワイマール共和国を崩壊させ、小沢は日本を崩壊させて「中共倭族自治区」にしようとしている。朝日新聞は保守派に筆誅・言論テロを加えたが、売国奴に筆誅・言論テロを加えるのは今やネットしかない。
ネットが新聞を超えられるか。超えられるのである。オバマはネット活用で勝利した。新聞はほとんどすべてネット事業に進出して失敗している。ネットは新聞の天敵である。
一般紙を「内容」で買っている人はたったの15%だそうだ(米国)。多分日本でも同様で、読売、朝日、毎日、東京(中日)、産経・・・85%は「拡材」の洗剤やらビール券で選んでおり、内容なんて二の次である。
カミサンを見てごらん。カミサンは新聞の裏、テレビ欄を見、スーパーのチラシをじっくり見る。それから「事故と殺しとスキャンダル」の三面記事を見て、家庭面、文化面、スポーツ面と、後ろから見ていくのである。政治面なんてじっくり読む読者は稀で、大体が15~20分しか新聞を読んでいないという(米国)。
新聞が世論をリードする時代は、購読者、広告出稿の減少とともに確実に減っている。
メルマガは今は閲読者がせいぜい数万人のミニコミだが、やがては10万、百万になる。新聞は逆に読売1000万部が500万部へ、朝日800万部が400万部へ、毎日500万部はゼロになろうとしている。10年もたたずにそうなるだろう。
記者の年俸1000万円。内外のオフィス経費、取材・交通費、福利厚生費などを含めて記者一人当たりのコストは年2000万円以上。べらぼうなコストである。部数減、広告・販売減をカバーするには記者やら編集費を切るしかない。氷河期である。
恐竜だった新聞はパワーが衰える一方である。ネットは「早い・安い・うまい」で氷河期を乗り切れるが、新聞のビジネスモデル(大量広告、大量販売、大量配信)は「ネットで無料で記事を提供した」ことでミソをつけた。ネット記事を今さら誰も買ってくれない。
不況である。企業の広告出稿は減るばかりである。貧ずれば貪すで、広告をもらうために新聞は節操のないフリーペーパーみたいになるだろう。昨日勤皇、今日佐幕で、右に左に揺れ動き、オピニオンリーダーの地位を失うのである。
子供たちへ健康な日本を継承するためにバイアスのかからない「自由なネット言論」は必要である。新聞凋落を補完するのは基本的にそれしかないだろう。
小沢と中共は当然のことながらネット言論を規制してくる。「禁固11年」の覚悟でネット・コミュニケーション「ネトコミ」を育て、我々は小沢人民共和国をつぶさなくてはいけない。それが時代から要請された我々の使命、天命である。同志諸君、名こそ惜しめ!
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4708 小沢人民共和国を潰せ 平井修一

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