漫画界の大御所・杉浦幸雄さんが亡くなって久しい。女を描かせたら”日本一”という漫画家だった。自ら女性礼賛論者と言ってはばからなかった。だが杉浦さんが描いた”女性像”には変遷がある。
戦前の「主婦の友」に連載で発表した「銃後のハナ子さん」が人気を呼んで、女優の轟夕起子さん主演で映画化された。”ハナ子さん”のモデルは轟夕起子さんと言われたものだが実は違う。杉浦さんの亡妻・富子夫人がモデルであった。通称”トンコちゃん”・・・信州・長野市の歯医者さんの次女だった。
昭和7年のことになるが、杉浦さんと横山隆一、近藤日出造、杉浦幸雄、中村篤九、秋吉馨、岸丈夫、大羽比羅夫、石川進介、小山内龍さんらが東京・銀座で新漫画派集団の旗揚げをしている。いずれも「漫画・漫文」という独自に世界を切り開いた岡本一平さんを慕って集まった青年漫画家たち。
青年漫画家たちの作品は一年後に横浜の文座書林から発刊された「新漫画派集団 漫画年鑑」に出ている。初版一五〇〇部、定価二円、151ページの本で、東京・神田の岡倉書房が発売元になったが、今では貴重本になっていて、神田の古書店をめぐっても入手できない。
編集後記を父の古沢元が書いた。「ほんの僅かばかりの編集経験があるのと、一寸した面識があると云うことから委嘱された・・・」と述べている。ここに出ている岸丈夫は古沢元の実弟。岸夫人の泰子さんは、東京の音楽学校をでた声楽家なのだが、信州・長野市の歯医者さんの長女であった。
次女の”トンコちゃん”が新漫画派集団に遊びにきているうちに杉浦さんが見染めた。独身時代の”トンコちゃん”の写真がわが家にあったが、スラリとして陽気なモダン・ガール。おまけに飛びっきりの美人だったから、杉浦さんが”トンコちゃん”の虜(とりこ)になったのは無理もない。
私が子供の頃、東京・世田谷の杉浦邸に行くと杉浦さんは「カー君」を連発していた。娘さんと男の子が可愛い盛りであった。「銃後のハナ子さん」が人気を呼ぶと、父と母は「カー君漫画だ」と笑っていた。お転婆で、しかし家庭をしっかり守る理想的な女性像が描かれている。
戦後になると「ハナ子さんもの」が少し変わる。お転婆なところは変わらないが、妖艶さが加わった。私はモデルが轟夕起子さんに代わったな、と感じた。「アトミックのおぼん」の漫画がそれである。この頃から杉浦さんの銀座のバア通いが始まっている。健気な女性像を銀座で働く女性たちに求めたのであろう。戦後の混乱がまだ続いていた。
やがて杉浦漫画の女性像が、さらに変わった。杉浦さんのお伴をして銀座のバーに行ったことがあるが、家庭では「カー君」を連発している杉浦さんの目が妙に鋭く、優しい仕草をみせながら、怖い感じを受けた。外では照れもせずに”女性礼賛論者”と言い放ちながら、女性の”業”といったものに目をそそいでいる。
そのことを、最初に指摘したのは作家の曾野綾子さんではないかと思う。杉浦漫画を評して「杉浦さんがここ数年間・・・延々と書いてこられた女性は、その無知、狡猾、ハレンチ、欲張り、動物的(人間的にあらず)だらしなさ、無能さ、お人好しの点において、まさに目を覆わしむるものがあった。この方、ツワモノである。真実を描いてゾーとさせ笑わせる。単なる漫画ではない。人間洞察であり、文明批評である。一九六〇年代の全女性のテキとして、昭和史に名をとどめるに値する」と言っている。
杉浦さんと東北旅行をしたことがある。日本の女性は世界で一番、綺麗だという。色白でしっとりとしたキメの細かい肌は世界のどこにもないと言い切る。トンコ叔母はまさにそのすべてを備えていた信州美人。またカー君自慢が始まったと背中がむず痒くなった。
そのうちに「古事記の漫画を書きたい」と言う。古事記はエロチシムズの世界だという。翌年の年賀状に「古事記の漫画化は、まだ構想の中」という走り書きがあった。それを果たせずに2004年、92歳で亡くなった。あの世で「カー君」を連発しているのだろうが、古事記の漫画化を一生懸命に考えているのだと思っている。
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4710 杉浦漫画の女性モデルはトンコ夫人 古沢襄
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