4722 アーリーバードを目指す 平井修一

快晴の元旦、八幡様に初参りし、菩提寺へ回って先考の墓参りをした。穏やかな一年であって欲しいと願った。2月で59歳になるが、ということは来年は還暦だ。駆光なんぞ馳するがごときである。「六十にして耳順(した)がう」と論語にあるが、人の言葉を素直に聞くということのようだ。そこまで人間が熟成するだろうか。
ところでカミサンには小生の駄文なんぞ見て欲しくないが、時々デスクトップにある原稿を覗いているようである。年末に横浜の「万葉の湯」からホロヨイ加減で帰宅したカミサンが絡みつく。人のことは言えないが、酒癖はあまりよくないなあ。
「ふーん、私は、あなたが好きなものの3番目なのね。私は、好きなものの1番目はあなたよ、嫌いなものの1番目もあなたよ」
うまいことをいうなあ。真実だろうよ。好き、でも、嫌い、というのは人情だろう。艶歌の世界か。
♪ 心が忘れた あのひとも
膝が重さを 覚えてる
長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかしてた
憎い 恋しい 憎い 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい
雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
(雨の慕情 阿久悠作詞 浜圭介作曲)
「あんたのバラード」というのも小生の好きな歌だ。
♪ あんたにあげた 愛の日々を
今さら返せとは 言わないわ
酔いどれ男と 泣き虫女
しらけた笑いに 厚化粧 ひとつ
あんたの歌う あの歌を
今夜はあたいが 歌ってあげる
(作詞・作曲 世良公則)
手と手を取り合ってカミサンとめでたく人生の第4コーナーを過ぎたが、最後の直線が残っている。いかにせん。目標やら楽しみを作らないと面白くなかろうと思うが、風呂好きのカミサンと「死ぬほど風呂が大嫌い」の小生とはこの頃疎遠である。昔は一緒に風呂に入っていたのになあ。荒淫矢の如し。
カミサンに頼ることなく、孤高の人のように趣味はもたなくてはいけないだろう。晩年は概ね孤独である。無聊をかこつ寂しさから免れる技を身につけるにしかず。
で、どう過ごすか。大好きだった山歩きは体調不良で今は困難だ。が、後悔はない。元気なうちに周辺の山はすべて制覇しておいてよかった。金や暇はなくとも元気なうちにやっておくべきことというものはあるものである、ナニを含めて。
作文が好きなら、いっそ「ブログ界のプリンス」を目指すというのはどうか。今さらプリンスはないだろうから、「ブログ界のキング」・・・ちょっと恐れ多いなあ。それに準じるにも至らないが、「ちょっとした話題の早めの提供者」という意味で「アーリーバード」あたりはどうか。
そう「ネット界のアーリーバード」。
「バード」と言えばアルトサックスのチャーリー・パーカーで、CDを探して聴けば、確かにさえずるように演奏している。楽しければ、面白ければすべてよし、だ。
それじゃあ、いかがなものか。苦味というか、エグサ、くせ、自己主張がないと読者は心から愉しんでくれないのではないか。料理でもニンニクとか鷹の爪がないとビビッとこないものがある。
アーリーバードはピリッとした味で読者をつかもう。「天、将に夫子(ふうし)を以て木鐸と為さんとす」ほどの記事は無理としても、時々カミサンもチェックしてみたくなるような記事を書いていけたらいいなあと初日の出に祈った。
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