「日本人バイカル湖畔起源説」の古伝説
日本人の起源をどこに求めるべきだろうか。私は「日本人バイカル湖畔起源説」に魅力を感じている。バイカル湖には二度、訪れた。東北に「日本人バイカル湖畔起源説」の古伝説が伝わっている。「衣川文書」という民間伝承の古文書・四〇〇点を集めたものである。
衣川邑は「続日本紀」にもでてくるから、古文書は長い歴史の中で、言い伝えを文書で遺した民間伝承といっていい。その「衣川文書」の現代語訳を読んだものだから、ますますバイカル湖畔起源説にのめり込んだ。
古文書は①山靼(ダッタン)にブルハン湖(バイカル湖の古称)あり②およそ15万年前に山靼より氷海を渡り、7万年前に奥州に来たりし渡来民を祖となす③ブルハンの神理を神道の知識としアラハバキ神としたり・・・とあった。アラハバキ神は北の王者だった安倍一族が信仰した神様である。
「日本人バイカル湖畔起源説」は学者の間で論考が重ねられてきたので、一介のジャーナリストが介入できる世界ではない。近来、日本人の起源は文献考証や人類学の範囲から遺伝学や考古学の観点からも論じられているので手におえる代物ではなくなった。
渡来した七〇〇〇人のブリヤート
だが、バイカル湖畔起源説に立てば、どのくらいのブリヤート人がシベリアから渡ってきたか、興味がある。
二万年前の旧石器時代の日本人口は約三〇〇〇人という推定値がある。また縄文時代の遺跡数の緻密な分析から八〇〇〇年前の縄文早期の人口は東日本で一万七三〇〇人、西日本では二八〇〇人という推定値もある。
この推定値から渡来したブリヤート人は約七〇〇〇人とみるのが正しい様である。ブリヤートは古代トルコ種と古代モンゴル種の混血だから、蒙古人よりも背が高い。中国の史書では「高車(こうしゃ)」と称された。背が高いから支那人や蒙古人よりも高い車を使ったのではないか。
このブリヤートは高い技術を持っていた。シベリアの寒冷期に暖かい土地を求めて東進する冒険心も豊かである。考古学では一万二〇〇〇年前から一万三〇〇〇年前に東日本にクサビ型細石核をもつ細石刃文化を担った人類集団が来たと分析している。
この細石刃文化はバイカル湖周辺から発掘されたものと「恐ろしいほどの一致といわざるを得ない」と考古学者はいう。渡来したブリヤート人は古来の縄文人を征服し、縄文人との同化を繰り返しながら日本列島に広がっていったと考えられる。
嫁を貰うなら秋田美人
それは広義での縄文人なのだろうが、やがて高度の稲作文化を持って、鉄器を使用する大陸からの渡来民によって、再び北日本に追いやられ、同化を繰り返しながら、日本人の原型となったのではなかろうか。
遺伝子研究が発達し、考古学の発掘調査が広がった結果、日本人のルーツを北方系とするのが定説となった。「日本人バイカル湖畔起源説」は以前よりも信憑性が高まっていると思っている。
秋田美人がブリヤートの末裔と夢想するのは楽しい。嫁を貰うなら秋田美人と人には勧めている。
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4727 山靼(ダッタン)のブルハン湖こそ日本人の故郷 古沢襄

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