4732 だまこもち食べる? 渡部亮次郎

「だまこもち」は、秋田県中央部の郷土料理。干拓以前の八郎潟の東側沿岸(湖東部といった)が発祥地である。潰したご飯を直径3センチほどに丸めたもの。だまこ、やまもちとも呼ばれ、主に鍋の具材として用いられ、だまこもちが入った鍋はだまこ鍋と呼ばれる。
潰すご飯は新米が望ましい。したがって私が育った頃は、秋から冬にかけての定番料理。お袋は鶏肉と一緒に煮たが、シベリヤから飛んでくる鴨(かも)の肉が一番美味しかった。だまこ抜きでも。
隣町の五城目町(ごじょうのめまち)で、1959(昭和34)年に三笠宮崇仁親王がだまこ鍋を食べ、称賛したことを契機に、周辺地域を代表する料理として扱うようになった。
うるち米の飯を粒が残る程度に潰し、直径3センチほどの球形にする。家庭によってはこれに塩を振ったり、煮崩れを防ぐため軽く火で炙ったりする。
鶏がらの出汁に醤油や味噌などで味をつけ、鶏肉やねぎ、セリ、ごぼう、きのこ(マイタケ等)の具と共に煮る。これらの調理方法はきりたんぽ鍋とほぼ同じであるが、棒状にして表面を焼くきりたんぽと違い、だまこは団子型で(基本的には)焼かない。
八郎潟周辺地域の、山林で働く木こりが弁当の飯を切り株の上に乗せ、斧の背で潰したものが起源とされている。一方、マタギ料理が起源であるとも言われ、だまこもちがきりたんぽの原型になったとする説もある。
以前は八郎潟で獲れたフナなどの魚が使われ、味付けには主に味噌が用いられた。しかし八郎潟の干拓により魚が減ったために、現在の鶏を使う形に変化していった。
鍋に残っただまこを、翌朝、串刺しにし、囲炉裏の焚き火にかざして、こんがり焼けたところを食べるのが好きだった。60年前の話だ。
実を言うと、東京では、鮟鱇鍋や牡蠣鍋などを知ったし、冬は加えて「おでん」も美味であるため、だまこもち鍋はしたことがない。2010年の正月鍋は同じ秋田県でも角館の隣「田沢高原」でとれた「山の芋」鍋をした。
グローブに似た「山の芋」を摩り下ろすと、強い粘りの為、団子状に丸める事ができる。これを鶏肉と「舞茸」、葱などを煮た鍋に落とし込んで食べるもの。なかなか風味があってよろしかった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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