4738 鳩山政権が日米同盟を危機に陥れる  古森義久

鳩山政権の自己矛盾や優柔不断そして反米志向などによる日米関係の悪化が明らかとなってきました。その核心は日米同盟の揺らぎです。
鳩山政権は日本の防衛や安全保障を語りません。東アジア妄想体構想とか、米中橋渡しだとか、空疎な言葉だけがあって、実体を伴わないカギ括弧『』フレーズ外交だけが先行しています。
こんなことを続けていると、どうなるのか。日米同盟の危機は日本になにをもたらすのか。
以前にもこのブログで紹介した拓殖大学の渡辺利夫学長が歴史を踏まえての鋭い警告を発しています。産経新聞の1月5日の『正論』コラムの論文です。
日本の安全保障を少しでもまじめに考えたいと願う人たち――私自身も含めて――には必読の論文だと思ったので、紹介します。
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■「日英同盟」廃棄の轍を踏むな
何を思い悩んでいるのか。日本は世界最大の覇権国家米国を同盟国としているではないか。自国の安全を確実に保障するものは最強の覇権国との同盟である。これ以上明快な答えはない。
「専守防衛」を旨とし、なお自国の安全を手にしようというのである。他に代替策があると考えるのはよほどの「主義者」にちがいない。
集団的自衛権は独立国のすべてに与えられた自然権である。日本はその行使をも否定して自国の安全を守ろうとしている。
覇権国との同盟関係を維持するための必死の努力なくして、どうして日本がこの厳しい東アジアの地政学的環境の中で生存をまっとうできるか。
最強国との同盟関係を断ち切って独自に存在できるほど東アジア地政学は甘くはない。
つい先だっての歴史に痛恨の先例があるではないか。第二次大戦での敗北によって日本が亡国の危機におとしめられた、その淵源(えんげん)をたどっていけば日英同盟の廃棄にいきつく。
日露戦争を睫前(しょうぜん)にした明治35年1月に締結され、大正10年12月のワシントン会議で廃棄されるまでの20年にわたり、日本の安全保障を確たるものとしたのが日英同盟であった。
往時の世界最大の海洋覇権国家英国との同盟により、日本は日露戦争に勝利し、あの苛烈(かれつ)な帝国主義の時代にあって一度たりとも安全を侵されることはなかった。
日英同盟に守られ日本は明治末の10年と大正期を通じて、産業を勃興(ぼっこう)させ、中産階級を生み、学術と芸術を振興し、大正デモクラシーを開花させたのである。
≪自らの生存に直結する転換≫
日英同盟を廃棄に追い込んだのは米国である。第一次大戦での敗北によってドイツの脅威が消滅する一方、この戦争に勝利して軍事力を蓄えたのが日米であってみれば、米国が日本に対する敵愾(てきがい)心を抑えることは難しかったのであろう。
日英を合計すればその海軍軍事力は米国をはるかに凌(しの)いでいたのであり、米国が日英分断を画策したのは当然の国際政治力学であったといっていい。
日英両国政府には、日露戦争、第一次大戦において有効性をいかんなく発揮したこの同盟を捨てる意思はなかった。
英国は日米間で戦争が勃発(ぼっぱつ)しても日本を支援する義務はない旨を成文化してもいいと米国を説いたものの、米国から物心両面の支援を受けて対独戦に勝利した英国には、米国の強硬な同盟破棄要求を抑える外交力はなかった。
大正10年12月13日、ワシントン会議における4国条約の成立をもって日英同盟は消滅した。
旧友邦英国が米国の要求になすすべなく屈する姿を眺めて、日本はみずからの生存は結局はみずから守るより他なしと決意せざるをえなかった。
欧米列強から猜疑(さいぎ)の眼を向けられながら独自に軍事力を強化し、第一次大戦の勝利によってドイツから継承した山東省に地歩を得て大陸の中心部に進み、その深い泥沼に足を捕られて自滅への道を突き進んだ。
後にドイツ、イタリアが軍事力を増強して米英への攻勢に転じるや、これに加わらんとする機運を日本人に生んだのも、帰するところ日英同盟廃棄にその原因があったといわざるをえない。
≪同盟を危機に陥れる現政権≫
日英同盟の廃棄直後の大正12年には、日本の不吉な将来の予兆ででもあるかのように関東大震災が発生、大正13年には米国で排日移民法成立、昭和2年には山東出兵、昭和3年には張作霖爆殺事件、昭和5年にはロンドン軍縮会議、昭和6年には満州事変、昭和7年には満州国建国、5・15事件、昭和8年には国際連盟脱退、昭和11年には2・26事件、昭和12年には支那事変、昭和14年には第二次大戦勃発、昭和15年には日独伊軍事同盟成立、昭和16年には真珠湾攻撃、昭和20年には日本の降伏とつづいた。
日英同盟廃棄は、悔やんでも悔やみきれない日本の近現代史における痛恨事である。中村粲(あきら)獨協大名誉教授はこういう。
「我国はその後、極東情勢の混乱に単独で対処する他なかつた。最も同盟の必要な時期にそれがなかつたのだ。日本は自ら望まずして、孤立へと追ひやられたのである。以後大東亜戦争に至る迄(まで)我国が歩んだ孤立と苦難の20年間を思ふ時、日英同盟消滅せざりしかば、の感を深くせざるを得ない」(『大東亜戦争への道』展転社)
日英同盟廃棄は日英の外の第三国の容喙(ようかい)によって余儀なくされた。しかし、現在の日本の政権はみずからの手によって米国との同盟を危機に陥れようとしている。
この選択はいかにも愚かである。
中国の国産空母の建造計画、東シナ海制海権の掌握、北朝鮮の核ミサイル保有の危険な可能性を日本は眼前に控えている。
「日米同盟消滅せざりしかば」と後世の史家によって慨嘆されるような選択だけは、絶対にこれを避けねばならないと思うのである。
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