カミサンが病棟勤務になってから土日曜日も関係なくなったので一緒に散歩することも減ったが、過日久し振りに多摩川をともに歩いた。
鴨やカモメに交じってオシドリ(鴛鴦、えんおう)が50羽ほどいた。一夫一婦制を生涯守るというので「鴛鴦の契り」なんて言う。
守りきるのは至難の技で、誰でもひとつやふたつはあの世までもって行くべきロマンスはあるだろう。なければちと寂しい。
知り合いが「ご夫婦で散歩、いいですねえ」と声をかけてきた。愛犬家仲間である。本名は誰も知らない。彼女は「ミミちゃんのお母さん」で通っている。ちなみに小生は「トトちゃんのお父さん」だ。
カミサンが答える。「いいでしょう!」。ずいぶん機嫌がいい。人生がこんな小春日和のような天気でずっと続いたらなあと思ってしまう。
鴛鴦といえば、冒険家を夫に持った女性は、どんな気持ちで夫を送り出し、留守を守るのだろうか。
職業は?と聞かれて「冒険家です」と答えられる人は日本では数人しかいないだろう。趣味あるいは生き方として冒険家を選ぶ人は、別途に働いて冒険のための費用を作る。アマチュアである。
プロの冒険家というのは冒険することが売上になる。マルコポールやコロンブス、バスコダ・ガマはプロの冒険家の嚆矢だ。
日本を代表するプロの冒険家は、三浦雄一郎氏と堀江謙一氏だろう。冒険はイベント、興業だから多くのスタッフと資金が必要だろう。両氏のサイトを拝見した。
スキーヤーの三浦氏は、
<1932年10月12日青森市に生まれる。1964年、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ、1985年世界七大陸
最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太)とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立(ギネス掲載)>
!)ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、(社)全国森林レクリエーション協会会長などを務めているが、その収入では冒険は賄えないだろう。安定したスポンサーを得なければならないのは他のプロスポーツと同様だ。
09年の5月に再びエベレスト登頂に成功したが、VAAM、トヨタ、オムロン、東芝、サントリー、杏林などが応援している。この登頂の模様は産経新聞がシリーズで報じていたが、産経は協賛費とか謝礼を払ってい
るのだろう。
ヨットマン堀江氏はウィキでこう紹介されている。
<1938年9月8日大阪市生まれ。海洋冒険家。1962年、マーメイド号による西宮-サンフランシスコ間の太平洋単独航海に成功。「マーメイド」の名は、敷島紡績(現:シキボウ)から、当社のマークを帆に入れてくれれば帆を一式寄付するとの申し出を受け、同社の人魚のマークが入った帆の寄付を受けた事に因んだ>
堀江氏が冒険するために、まずはスポンサーを獲得しなければならないのは最初からだったのだ。堀江氏は現在、ハワイから紀伊水道までの6000キロ以上を波の力だけを動力にして進む「SUNTORYマーメイドII号」で世界初航海に挑んでいるが、サントリーはじめ多くの企業が応援している。
冒険というのが一種の興業ビジネスであれば、企画、営業、総務経理、広報宣伝、運営などチームであたらなければならない。人件費などもかかるから一興業につき最低1億円の売上は必要だろう。
ひとつの冒険が終われば次の冒険を企画し、スポンサーを集めなければならない。興業なら成功しなければならない。冒険は趣味にしておくほうが楽しそうである。
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4747 冒険という興業ビジネス 平井修一

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