三年前の六月のことになるが、四人の北朝鮮人が小舟で脱北し、青森海岸に漂着したことがある。佐渡島を目指し、携帯用の小型羅針盤を持っていたが、海流に流され青森海岸にまで持っていかれたと四人は言っていた。六月の日本海は穏やかな海になる。だが海流の速さは変わらない。
古代の高句麗と日本
千五百年近い昔の話に飛ぶ。
高句麗という古代国家があった。紀元前37年頃から668年まで、中国東北部(満洲)南部から朝鮮半島の大部分を領土としている。朝鮮半島の南東部にあった新羅と中国の唐の連合軍によって滅ぼされたが、高句麗の遺民たちが海を渡って日本に渡来した。最初に着いたのは佐渡島だという。
平安時代初期の815年というから高句麗が新羅に滅ぼされて、およそ百五十年後のことになるが古代氏族名鑑「新撰姓氏録」が編纂された。そこに高句麗から渡来した氏族の名が四十一人出ている。その中に高句麗王の末(一族か)として、高麗、難波、大狛、黄文、長背の姓が出ている。亡命してきた高句麗王の一族が帰化して有力な氏族になったのではないか。
古代日本と高句麗の関係を示す神社が、埼玉県日高市新堀にある。この神社に詣でると総理大臣になれるというから面白い。鳩山首相の祖父・鳩山一郎もこの神社を参拝した後に首相官邸の主になっている。浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎といった歴代の総理大臣もこの神社を参拝していた。
神社の名は高麗神社(こまじんじゃ)。案内板に「霊亀2年(716)5月、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国から高句麗人1,799人を武蔵国に移し、高麗郡を創建した」と続日本紀の記載を引用して、高麗郡の長となった高麗王・高麗若光の神霊を祀り、高麗神社と称したと創建の由来を伝えている。
716年というのは、高句麗が滅びてほぼ五十年後である。その時に1799人の遺民たちが海を渡って日本に帰化していたことになる。
高句麗はツングースの騎馬集団が南下して作った国家。ツングースの粛慎族で、高句麗にきた者を靺鞨(まつかつ)族と呼んでいる。日本書記に阿部比羅夫が「討蝦夷」「征粛慎」の軍をおこした記述がある。この粛慎(しゅくしん)とは、ロシア沿海州を指す中国の呼称だから、靺鞨族はツングースとみていい。
この靺鞨族が海流に流されずに佐渡島に上陸して、日本各地に広がり、靺鞨族の高麗神社を日本の歴代総理になる人が参拝していたとは面白い。私も参拝したことがあるのだが・・・。
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