4787 カリフォルニア旅行記 第2章 前田正晶

今回はリタイヤー後3度目の個人でのアメリカ旅行だった。実は、この10年間にアメリカに行く際にはその渡航手続きに多くの変化が起きていたことを痛感する。
2007年にはすでに航空券は発券されず、空港のカウンターでは予約番号等を自分でタッチパネル式の機械に打ち込んでチェックインする方式に変えられていて、その変化を知らなかった私は大いに面食らったものだった。
ところが、2010年の今日ではアメリカに行くためには、自宅のPCからESTAというヴィザを取らねばならないようになった。PCがない場合には旅行社に4,000円(税別)を払って代行して貰わねばならない。
航空券はなく、私のノースウエストの場合は予約した旅行代理店で予約番号、パスポート番号その他の必要項目だけを、予約した旅行代理店で打ち込んでお仕舞いである。空港では係員が私のパスポートを読み取るだけで、後は荷物を預けて搭乗券を貰うのである。
ノースウエストの場合は自宅からPCで出発時刻の24時間前に“オンライン・チェックイン”も出来るというように、PCを扱わない高齢者には何ともイヤらしい時代になっていた。タッチパネルなどは馴れれば何でもないが、初心者?には誠に煩わしい代物である。
此処まででお気付きの方もおられるだろうが、兎に角新システムでは「省紙化」が進み過ぎているのである。航空券がないことは事務用紙の需要が消えたことである。
さらに、搭乗券はスーパーのレジが発行するレシートと同じの薄手の感熱紙に切り換えられていた。此処までで、私は何故アメリカの当局が中国やドイツからの感熱紙の輸入価格に敏感で反ダンピング関税を賦課するわけが解った。需要が増えていたのである。
帰りのフライトにチェックインして気が付いたのだが、アメリカの搭乗券は日本側と比べれば極めて厚手で、アメリカ側の製紙技術の至らなさを示していた。
紙は薄くできるのは取りも直さず技術水準が高いことを示し、此処でもアメリカの立ち後れを感じ取った次第である。そこに中国とドイツが付け込む隙があったのだった。そこをアメリカの当局が国内産業の保護に打って出たのだった。
何れにせよ、IT化と合理化が進むと紙の需要が減少するという冷厳な事実である。やや感傷的な捉え方かも知れぬが、紙を排除するよりももっと経済的効果がある合理化する手段があるのではないかと思いながら、薄っぺらな搭乗券を眺めてアメリカに向かったのである。
此処までは、専ら長年紙パルプ業界にお世話になった立場からしか見ていないが、9年振りにアメリカ行きのノースウエスト便に乗って機内放送で「ノースウエストはデルタ航空の傘下に入った」と繰り返し聞かされると、何となくもの悲しい気分になった。何しろ、W社在職中の19年間アメリカとの往復にノースウエスト以外に乗ったことは3回しかなかったほど慣れ親しんだ会社だったのだ。
アメリカの航空界会社は規制緩和(=deregulation)という自由化のために、競争が熾烈化して多くの会社が倒産ないしはChapter 11となって、業界再編成がドラマティックに進み、まともに残っ ている会社が激減した。
その結果として、我がノースウエストもChapter 11となり、デルタ航空の系列となったのである。それだけ変化が激しい航空業界をあの社員の意識と質で運営されてきたJALが今日の惨状を呈しているのは、率直に言えば自然の流れだったのかも知れない。
オバマ大統領が何かをChangeする前から、航空業界を見ただけでも競争激化が進み、この世は合理化を迫られて今日の激変の状態にある。最早、古き良き切符を買って搭乗券を貰ってという旅は望むべくのない時代となった。
「この変化の時代にアメリカも我が国もどのように対応していくのか」と考えながら降り立ったロス・アンジェルス空港の古くて汚くて非効率な設計に「現在の仁川やシンガポールとは比較にもならない。昔は此処を巨大で素晴らしい空港と思って感心したこともあった」と時の流れを痛感した次第である。
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