4802 加瀬英明『徳の国富論』書評 評者:宮崎正弘

馥郁と歴史の香りが醸し出され、歴史講座が名文で綴られる本書は日本史の通史ではない。強いて言えば歴史にまつわるエッセイのエッセンス。その基軸の視点に日本人がもっとも尊ぶ「徳」の価値観をおいている。
どのページから読んでも、そこには馥郁した、柔らかな、それでいてつよい歴史の香りが漂う。名文を綴る匠でもある加瀬氏ならでは作品である。
たとえば江戸の人情に関して。「江戸の人々は共通の価値観のもとで生活していたから、『世間体』がなによりも大事だった。世間体は、世間態とも書き、世間のひとびとに対する対面を意味し、見栄でもあった。
世間の人々との人間関係が、天と同じように重要だった。ユダヤ・キリスト・イスラム教のように絶対神を想定することで、同じ価値観のもとに人々を結束させる文化もある。
しかし、日本の場合は、社会そのものが人を見守る天であり、人々を束ねる役割を果たしていた」(本書44p)。
ともかく読み出して、どこからも読めるので5ページ読んで余韻を楽しみ、また5、6ページ進むと、本を閉じて中世の世界を想像したり、近代日本の激動を夢見たりしていたら、2ヶ月ほど時間が経ってしまった。
それゆえ旬の書評ではないが、この本は季節感のない、というより四季の香りがちりばめられて草花の匂いがただよう。なによりも本書によって眠っていた敷島の精神が鼓舞されるのである。
加瀬氏は最後の節で次のように力説される。「日本国民は先の大戦で敗れた時にも、未曾有の困難によく耐えて、うちひしがれることがなかった。廃墟の中から立ち上がって、世界第二位の経済大国を築くことができた。
それは江戸時代に培われ、日本を支えてきた精神のおかげだった。そうならば、いま私たちが直面している危機は、経済が停滞したことによってもたらされたのではない。精神が蝕まれて、日本人を日本人たらしめている心が失われようとしているからである」(242p)。
徳の大国ジャパンの真摯な姿は崩壊の危機に瀕した。ともかく本書は何時でも書棚から取り出せて、日本の精神を説く珠玉の歴史随筆なのである。
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