4816 民主党大会は民青の集会だった 西村眞悟

十六日には、民主党の党大会。十七日には大阪では「西村眞悟を応援する近畿の会」の同志が、危険人物、田母神俊雄前航空幕僚長を招いて「国政報告会」を開会してくれた。そして、岡山では、平沼赳夫先生の「新年互礼会」が開かれた。
この三つの会は、全く無関係に開かれたが、日本にとっての意義は、十七日の二つの会にある。何故なら、二つの会は、全く連絡を取り合った訳ではないか、ともに期せずして「新しい真の保守の党を本年結成する必要がある」との認識が表明されたからである。
十六日の日比谷における民主党大会は、馬鹿らしくて注目した訳ではないが、かいつまんだ感想を言えば、追い詰められた左翼の会だ。このような集会は、かつて大学紛争中の民青主導の集会によくあった。
「外部の大きな弾圧勢力」を想定し、その共同幻想のもとに一致団結して「断固戦う」と誓い合う。全く馬鹿らしい民青的手法である。
小沢氏の「側近」と会議運営手法には、民青の臭いがするので、かつて、その「知恵袋」に、「貴方は、学生時代、民青にいなかったか」と聞いたことがある。答えは、「そうです」だった。
小沢氏も、鳩山総理大臣も、「検察の横暴と戦う」だと。政府与党が、つまり、行政の長と立法の多数集団が、司法検察と戦うというのか。言うまでもなく、逮捕状は、裁判所が発布して検察が執行しているのだ。貴君らは、三権分立を如何に解しているのか。
この個別的事件に関して、行政と立法を盾にして戦うと党大会で合唱するとは、小沢氏と鳩山氏の頭は、国家の体制も分からない「錯乱」であると言うしかない。小沢・鳩山コンビは、亡国の錯乱か。
小沢さん、鳩山さん、戦うなら、法を武器として一人で戦え。国家の公職を利用するな。事件は極めて個別的ではないか。法治国家の日本では、国民は総理大臣であろうが、ホームレスであろうが、等しく、法を武器として戦える。反対に、小沢だから、総理だから、特別に戦える手段は用意されていない。これが、法治国家なのだ。
(不肖、西村はそうした。「国策捜査」だとか、検察の横暴だとか言わなかった。一人で戦った。そして、検察が国会議員の首を取るために用意した訴因において、「無罪」をいただき、検察はこの無罪に対して控訴をしなかった。現職国会議員を起訴した訴因ておいて一審で無罪が出て検察が控訴しないのは希有である)
それを、この十六日の両名は、大学紛争時の共産党民青のように「国家権力の横暴」にすり替えた。そして、大勢の国会議員の同調のヤジを演出した。民青的手法に従うなんと惨めな国会議員の姿か。両名は卑怯だ。民主党の大会は、最も精神的に脆弱で、それ故に卑怯な者達に、日本がハイジャックされていることを示したものである。
翌、十七日、大阪と岡山では、期せずして「真の保守新党」の樹立という明るく建設的な参加者の意思が表明されたのである。
私の大阪の会には、使命を与えられるためにチャーチルのように落選した私西村と八尾の三宅博、そして、不運にして当選してしまった民主党の議員も姿をみせた。
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