マサチューセッツ州(上院補選)で共和党が勝つ可能性。リベラルの牙城で民主党が敗退すれば、オバマ政権は窮地に追い込まれる。
エドワート・ケネディ上院議員の弔い合戦。しかもマサチューセッツ州と言えばリベラルの牙城。ボストンは進歩派のメッカ。
よもや共和党が勝つことがあろうか?民主党候補はマーサ・コクリー女史。共和党はスコット・ブラウン同州上院議員。下馬評はマーサ・コクリー候補有利だった。
ところが「選挙終盤、共和党の猛追、直前の世論調査は共和党候補が僅差でリードしていることが判明し、オバマ政権は衝撃を受けた」(NYタイムズ、1月19日付け)。オバマは急遽、選挙応援でボストンへ飛んだ。
選挙民のオバマ離れ、民主党への怒りは、あの社会主義的ヘルスケアにあり、アメリカ人伝来の生き方をオバマの構想する保険制度が否定するうえ、自由競争の原則にも反する。民主党支持者さえ「私たちは間違った人を選んでしまった」(オバマに投票するんじゃなかった!)。
もし共和党が勝利すると連邦上院は共和党41,民主党59となりオバマ与党は絶対多数を失う。法案の成立可能性が減退する。
そのうえ、秋の中間選挙は共和党の躍進が予測されており、オバマ政権は窮地に追い込まれることになりそうだ。日本の夏の参議院選挙も与党惨敗の気配が日々濃厚になりつつある。
■ミッキー・安川(本名 安川実)さんが死去
時代の寵児、『ふうらい坊留学記』は一世を風靡した。星雲の快男児は、まっしぐらに時代を駆け抜けた。若い世代にはミッキー安川さんの寵児ぶりが分からないかも知れない。
我々の世代の感覚は、あの『ふうらい坊留学記』によって颯爽と登場したミッキーさんからどれだけ大和魂を鼓舞されたか分からない。まだ戦後の焼け跡、貧困にうちひしがれていた日本の精神状況のなかで、ひょいと読書世界に飛び込んできた無名の青年。
横浜から船に乗って無鉄砲にアメリカに渡り、単身、アメリカ各地で大活躍の風来坊が繰り広げた「活劇」に、酔いしれ、ああ、こういう日本人もいるんだとおおいに激励された。
人種差別の激しかった南部で孤独に状況と闘いながらも生来の楽天主義人生観が、ミッキーさんを支えたのだろう。重労働のアルバイトにも耐え、学費を捻出し、アメリカで青春を送った。
当時、小田実の「なんでも見てやろう」と同時期のベストセラーとなった。ミッキーさんの冒険的体験記を読んで触発され、それから船に乗ってアメリカへ渡った青年達も、じつは夥しい。
四半世紀前からミッキー安川さんとは長いお付き合いだった。途中、村松剛氏がミッキーさんを気に入ってよくラジオ番組にでていて、村松先生なきあとのピンチ・ヒッターとして小生が呼ばれるようになった。爾来、ほぼ毎月一回、レギュラーのコメンティターとしても十六年を閲した。コメディアン時代の氏とは付き合いがなかった。
『芸能界の国士』と言われる頃から、ラジオ関東のスタジオでよくすれ違い、あの押し出しの強さ、辛辣な言葉に対応し、跳ね返すにはどうすれば良いかを考えたものだった。
印象として強引で伝法な口調なので、乱暴者のような誤解もあるが、気が優しく、思いやりがあって、細かな神経と気配りの持ち主だった。芸人というのは人気稼業だが、本人は芸能人という職業をやや含羞をふくめて振る舞い、むしろ本を読むのが早い。読書人でもあり、週刊誌に連載されていたルポなどをよむとハードボイルド作家として十分に通用する文章力を兼備していた。
だいいち、ミッキーさんは右とか左とかの政治イデオロギーの区別を嫌い、おなじ日本人。日本人であることに誇りを持ち、常識をそなえた日本人でありたいという主張だった。自民党でも民主党でもどこでも、幅広く付き合った。
氏の番組には安倍晋三氏が現職総理の時にも出演したし、鳩山、管といった政治家もミッキーさんの番組には万障繰り合わせて、でた。
石原都知事とは昔からの親友だったが、上田・埼玉県知事も松沢・神奈川県知事も深夜番組のほうには駆けつけた。あのキャラクターをみんなが愛した。
京都でイベントがあって新幹線で一緒だったときも、名産の弁当をそっと買ってくれたり、「宮さんはビールのほうが良いか」。台湾へ取材旅行で一緒の時も、運悪く予定した李登輝さんとの会談は実現しなかったものの、その取材対象への気配りは並大抵のものではなかった。名物の北京ダックの店では無邪気な食欲を見せて、舌鼓を打った。
「横浜の中華街にうまい店がある」とよく誘われた。
苦学して留学生活の経験が氏の人生のあらゆる面で自信となり、また黒人英語やスラングや南部訛りを聞き分ける語学はおそらく芸能界の英語使いではトップだろう。
そして米国で差別され、日本人とは何かを考える時間が多くなり、祖国の現状を憂い、その発言の数々は愛国心に基づくもの、放送の最初には君が代を出演者全員で合唱するという放送界でも異例の行動に象徴される。
かれは愛国心をリスナーに訴え続けた。
ミッキーさんは享年76歳。185センチくらいの大男、がっしりとした体躯、よもや病気とは無縁と思われがちだが、やけに新薬に詳しく、米国へ行くと新薬をみつけに薬屋さんを巡回するという趣味もお持ちだった。
「これ呑んでみると良いよ」と何回か、新薬を頂いたこともある。スタジオで放送中にちょっと席を立ってソファで寝ころんだり、三分ほど瞬間的な居眠りをされるという異常を発見したのは昨年の夏頃だったが、スタジオの冷房が強いといって電気ストーブを入れたり、気がかりなことがままあった。
師走23日、恒例のチャリティが開催され、会場へ行くと主宰者のミッキーさんの姿がない。息子さんが「救急車で入院した」と聞いて、あまり狼狽はなかった。集中治療室で面会謝絶とうかがってので、お見舞いには行かない裡に忽然と冥界へ行かれてしまった。合掌。
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4824 『芸能界の国士』ミッキー・安川死す 宮崎正弘

コメント
ご冥福をお祈りいたします。しかし、心優しく勇気のある人だった。改めて、敬意を表します。