オバマ大統領の就任からちょうど1周年、アメリカでも日本でもオバマ大統領の通信簿ふうの論評が盛んです。これまでの支持率の低下の幅だけをみても、オバマ氏はどうやらアメリカ政治史でも最低の大統領の一人となってしまいました。
一体なぜなのか。その分析を書きました。
ちょうど1年前の1月20日、大統領に就任したバラク・オバマ氏は白馬にさっそうとまたがる無敵の王子のようだった。だがいまや険しい道を徒歩であえぐ労苦の政治家となった。
やはり政治の世界はすぐ先も闇だということだろう。オバマ大統領への支持はなぜそれほど大幅に降下したのか。(ワシントン 古森義久)
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≪ほとんど実績なし≫
就任式の日、前夜から首都ワシントンに集まった数十万の米国民の熱気はものすごかった。「希望」や「変革」をスローガンに掲げて登場した若き黒人大統領への期待が満ち満ちていた。
新リーダーは実際に経済不況や対テロ戦争での米国社会の停滞を吹き飛ばすかにもみえた。だがその後1年、いまや「変革」も「希望」も色あせた看板にみえてきた。
内政でも外交でも明確な実績はほとんどないからだ。
だが個別の分野での採点を越えてオバマ大統領への米国民一般の認識に不安や反発を広げた主要因が少なくとも2つ、指摘できるようだ。
第1はバラク・フセイン・オバマという政治指導者が一体、個人としてどんな人間なのかという認識の究極部分での疑念である。
この疑念はオバマ氏がホワイトハウス入りするまでの人生で歴代大統領とは異なり、特筆できる業績や経験をまったく残してこなかったことにも帰される。
外交や軍務の体験ゼロであっても外交官や軍人に訓示を与える。ビジネス界に接したことがなくても大企業の幹部に経営方針を教示する。
疑念はこうした矛盾に総括できるだろう。
この種の懐疑は元来、オバマ氏を支持してきた民主党系の識者からも公然と表明されるようになった。「オバマ氏はこれまでの人生で成し遂げたことのために敬愛される大統領ではないことが弱点であり、自分がどんな人間かわかっているか否かも疑問だ」(リベラル派のコラムニスト、リチャード・コーエン氏)という辛辣な評さえあった。
「オバマ大統領は自分自身の中枢の信念がなにかという国民の疑念にまだ答えていない」(長老政治評論家のデービッド・ブローダー氏)という批判も話題となった。
米国では国民が大統領を父親的な存在とみる伝統もあるが、オバマ大統領はまさにその対極に立つ存在なのだともいえよう。
≪「過大な政府」反発≫
第2は、オバマ氏とその最側近がこの1年、最大の精力を注いだ政策全体が米国民多数からは超リベラルの「過大な政府」として反発されたことである。
オバマ大統領は個人としての資質が不明のままでも、その政策が示すイデオロギーの特徴は明確だとする認識は保守派の間でとくに強い。
保守重鎮の政治評論家チャールズ・クラウトハマー氏はオバマ氏が医療保険、教育、エネルギー政策で示した姿勢は「ソ連スタイルともいえる巨大な政府による管理で、社会民主主義志向」だと定義づけた。
欧州的な社会民主主義の思潮を米国にも導入しようとしている、というのである。
クラウトハマー氏はオバマ大統領のこの試みを「歴史的に個人主義が強い米国への挑戦であり、米国民の多数派からは拒否された」と分析し、その結果が支持率の急低下だとして、「結局は左に寄り過ぎたのだ」と総括する。
同じ保守派の女性評論家ペギー・ヌーナン氏は現在の政治潮流を「オバマ氏の政策と米国民多数派との断絶が連邦政府と米国民多数派との断絶をも生み始めた」と評する。
この断絶がオバマ氏と政策面で歩調を合わせる民主党リベラル派への反発となり、リベラル勢力の牙城マサチューセッツ州での上院補選で無名に近い保守派候補が圧勝するという結果までを生んだともいえよう。
だからオバマ大統領の2年目の統治はさらに厳しい試練にさらされることは確実なのである。
もっとも私はオバマ氏のこうした超リベラル志向がアメリカ国民の多数派とは整合しないという点を1年前の自書のなかで再三、指摘しました。
当時から明白だった彼の特徴ですが、そのころ日本のマスコミや学者の間ではその点を指摘する向きはほとんどいなかったのです。
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4849 オバマは白馬から落ちた 古森義久

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