4894 用語自粛もいい加減にしろ 渡部亮次郎

<最近の新聞記事、ラジオ、TVでのことですが、殺人事件の場合「殺した」ではなく、「死なせた」と報じられるようになってきたような気がするのですが、「殺した」ではなにか不都合なことがあるのでしょうか。ご多忙のこととは存じますが、教えて頂ければ幸甚です。>私のメール・マガジンの読者からの意見である。
放送局と新聞社が使用を自主規制している用語を調べてみると、ざっと1000語に達する。「殺し」は言い換えて「殺人」になっているから「殺した」はきついので「死なせた」の方がソフトに聞えるとして言い換えているようだ。しかし「殺した」には殺意があるが「死なせた」では傷害致死で、本質的に差があり、言い換えは無理だ。
同様に、強姦を乱暴というのも違うだろう。ほっぺたを殴られたのと、強姦を一緒にする事は、被害者を侮辱するものでは無いか。言い換えは被害者を庇った心算だろうが、加害者を庇っている事に気がつかないか。「姦通」は「不倫行為」と言えと。不倫ってなんだ。
「気違い」は「原則として使わない」から「「気違い沙汰」も「気違いに刃物」も使えなくなっている。「狂気」も「狂気の沙汰」も駄目。
「群盲象をなでる」は「盲」が入っているから「不使用」。今に意味の分からない譬えになるだろう。「虚仮=虚仮」は駄目。精神障害者と言えという。「虚仮にする」は死語になる。
「士農工商」が駄目。身分社会、階級制度と言えという。江戸時代が十分、説明できなくなるだろう。
まったく人を馬鹿にした言い換えもある。「百姓」はいけなくて「お百姓」なら言いと言う。意味がわからない。「お」をつければ本質が変わるのか。「いざり」はいけないというが「おいざり」ならどうなんだ。
因みに「どん百姓」は農民、農家の人、お百姓さんだそうです。なんだか人を馬鹿にしているように感じませんか。
お巡り、は良くないから、お巡り「さん」か、警察官といえというのも傑作だ。「お」を付ければ百姓もいいのと同じ。
按摩がいけなくてあんま「師」ならいいという。どこが違うのか。板前が悪くて板前さんといえという。どう違うのか。
ブスは使ってはいけない言葉。ぶおとこ(醜男)はいけない。言い換え言葉は無い。顔の不自由な男女とでもいうか。
処女がいけないという。余り居なくなったから、処女作と言っても意味がつうじなくなったのか「第一作」と言え。処女峰は「未踏峰」といいかえるのだという。未踏峰なんて読めない総理大臣も出てくるよ。
「将棋倒しになる」は将棋連盟からの申し入れで不使用。将棋盤の上では死者が出ないのに、将棋の印象を悪くするというのかね。心が貧しいね。
「せむし」は「猫背」だと。本質的に異なる。せむしはビタミン欠乏の病気だが、猫背は本人の不注意による悪姿勢。カイロプラクティックで完治できる。世間に誤解を与える言い換えだ。
掃除「婦」も掃除「夫」も男女別なく「清掃作業員」としたのは正しい。
こうして当っているうちに発見もあった。「タケノコ医者」とは「藪」にも満たない医者のこと。私には新語だった。チャリンコを最近は自転車の意味で若者は使うが、古くは「掏り」のことだった。
「エチゼンクラゲ」について地元の福井県水産課がマスコミに対して不使用を要請したのは理解できる。あれは中国沿岸産で、初めて捕獲された地点が福井県沿岸だったために、学会が地元に断らずの「越前」クラゲと命名してしまったもの。学会も無神経だ。大型クラゲと言い換えるのは当然である。
いろいろな経緯があっての言いかえだろうし、読者、視聴者の抗議などを受けての苦心の表れだろう。しかし、1000近い「言い換え集」の中には、人を小馬鹿にしたような「言い逃れ」が多すぎる。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト

コメント

タイトルとURLをコピーしました