鳩山政権は、内に「鳩山・小沢政治資金問題」、外に「普天間移設問題」という厄介な難問を抱え、発足から4カ月にして苦境にあえいでいるかのようだ。自民党が国民に分かりやすい確固とした反転攻勢の態勢を築けず、政党支持率も横ばいという状況だから、かろうじて助けられているといっていい。
政治資金問題は東京地検による小沢幹事長への聴取が行われて、あとは検察の出方を注視する以外にない。これは「内向き」の話だから、手っ取り早くいってしまえば、鳩山、小沢両氏の進退問題が今後の最大の焦点という次元の話だ。そうなれば政局に多大な影響を及ぼすのは必至だが、いわば国内だけで処理できる。
それに比べて、普天間基地の移設問題は日米関係に直結し、日本の外交、安全保障の根幹を揺るがす話である。国際政治の舞台で、日本がどういう位置づけで見られるようになるのかが試されるテーマだ。このコラムのタイトルにある「この国の行方」にかかわる重大事である。
政治資金問題を軽視するわけではないが、ことの性質がまったく違うことだけは意識しておきたい。
そこで、注目されていた沖縄の名護市長選挙は、懸念された通り、などというと当選した新市長には申し訳ないが、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設に反対していた側が当選した。容認派の現職が敗れた。これまで3回の選挙で容認派が当選してきたのだが、その流れが覆った。
稲嶺 進(無所属新、民主、共産、社民、国民新、沖縄社会大衆推薦)17950
島袋吉和(無所属現、公明支持) 16362
投票率は76・96%と前回を1・98ポイント上回り、名護市民の関心の高さを裏付けた。1588票という僅差だが、勝ちは勝ち、負けは負けだ。これによって、名護市の「民意」は移設反対ということになった。
かねてから名護市長選の前に結論を出さないと、とんでもないことになりかねないといわれていたのだが、その通りになった。鳩山首相はそれでもなお、「ゼロベースで臨む」とし、辺野古案を選択肢から外すわけではないことを強調しているが、それならなぜ、もっと早く政府方針を固めなかったのか。
10数年来の協議を経て、自民党政権時代には辺野古移設のV字型滑走路案で日米合意が出来上がっていた。若干、沖合に移動させて騒音をさらに軽減するかどうかが残されていた程度であった。
だから、鳩山政権もこの日米合意を重視して、巧みにその流れに乗っていたら、こんなことにはならなかったのである。
鳩山首相は5月末までに結論を出すと言明している。名護市長選でこういう結果が出た以上、これはどう考えても無理である。なにやら20年前の状況に戻してしまったかのようだ。
決まらなければ、普天間基地がそのまま残るだけである。米側とすれば、軍の運用上はそれでもかまわないということだろう。海兵隊のグアム移転も先送りすればいい。日本側への不信感が一気に強まり、日米安保体制に重大な亀裂が生じることになるが、日本政府の不始末が招いたのだから、米側は平然としていればいい。
5月末にキャンプ・シュワブ沿岸部への現行案で決着させようとすれば、鳩山首相、岡田外相、北沢防衛相が責任を取って辞任し、沖縄側の了解を引き出すといった政治決着以外には考えられない。
もっとも、鳩山首相は、予算の年度内成立、政治資金問題ともからめて、自身の進退とのバーターで懸案を一気に解決するという仕儀に出るかもしれない。7月参院選も迫ってくるという時期だから、党勢維持のためにはそれぐらいの荒業が必要になるだろう。
名護市移設案で決着させようというときには、社民党の連立離脱という事態が予想される。国民新党も移設反対派を推薦していたのだから、どういう態度を取るべきか、微妙になる。
社民党、国民新党との連立が必要だったのは、参院で民主党単独では過半数に達していないためだ。ならば、公明党との連携を模索することになる。この市長選で公明党は移設容認派を支持したのだ。補正予算案にも賛成した。公明党が自民党と微妙な距離を置いてきていることに留意すべきだろう。
一方で、国民新党が鳩山首相の政治手腕に見切りをつけ、いわれている「第3極」の政治勢力結集に動く契機となるかもしれない。みんなの党、改革クラブ、平沼赳夫氏のグループなどとの連携である。それはそれで、政局展望としては興味深いが、基地問題のウエートを考えれば、そうした次元では済まない話になる。
普天間基地の移設先としては、沖縄県内の下地島、伊江島、嘉手納基地などがあげられ、県外では長崎・大村基地、静岡・キャンプ富士、関西空港なども候補とされる。社民党はグアム移転を求めている。いずれも、鳩山首相の腰が定まらないのを見て、ばたばたと出てきた案であって、このいずれかでまとまることはまずない。仮に代替候補が決まるとしても10年先の話になる。
鳩山首相はなぜ普天間問題で出方を間違えたのか。「駐留なき安保」を主張したこともあるリベラルな政治スタンスのゆえか。日米中正三角形論、東アジア共同体論などとも考え合わせると、日米同盟が戦後の日本の外交・安保政策の基本的選択であったことへの真摯な認識に欠けたところがあるといわなくてはなるまい。
日米中が二等辺三角形ならまだ分かる。正三角形というのは、日米同盟が厳然として存在するのだから、中国傾斜路線を取ることを意味する。アメリカの「核の傘」を安全保障の基軸中の基軸としてきた歴史と明らかに矛盾する。
普天間移設問題でこれだけがたつくというのは、日米同盟の信頼感に決定的な傷をつけることになった。日米軍事同盟にヒビが入り、東アジア地域の軍事バランスに乱れが生じると、アメリカの世界戦略にも日本の防衛・安保体制にも多大な影響を及ぼす。このことによって、ほくそ笑んでいるのはどこの国であるか、そこに思いをはせるべきだろう。
アメリカから聞こえてくるのは、対日不信の声ばかりである。それも侮りに近いニュアンスだ。オバマ政権の政治基盤が揺らいでいるだけに、「そんな日本につきあっていられるか」といった調子である。
このまま進行すると、第2のニクソン・ショックが起きても不思議ではない。日本は相手にならないとばかりに、米中、米朝の関係正常化を日本の頭越しでやってしまおうという動きである。ジャパン・ナッシング、ジャパン・パッシングといわれた状況の再現だ。
鳩山政権の事実上の最高権力者である小沢幹事長には、「グランドキャニオンには観光客が落ちないようにという柵がない」として、自立した個人を基礎とする自己責任原則が徹底しているアメリカを称賛する認識もあった。他方で、竹下政権の官房副長官時代にアメリカに乗り込んで日米通信摩擦を解決した経験から、「アメリカ、おそるるに足りず」という思いもあるようだ。
そういう認識が鳩山首相に伝わり、発言がころころと変わる「軽い首相」といわれるような「資質」が手伝って、今日の事態を招いたのかどうか。
小沢氏の大訪中団や天皇陛下と中国国家副主席との「特例会見」に象徴されているように、中国に対しては最大限の配慮を尽くす。どうやら、アメリカとの関係はぎりぎりまで険しくなっても最後の場面でリスク・マネジメントが働くが、日中間にはそういう機能が働かないという認識が強いようだ。
だが、対米認識がそこまで甘くていいのかどうか。インド洋からの海上自衛隊補給部隊の撤退は、「国際テロとの戦い」から日本だけが逃げ出した印象を与えている。ハイチの地震被害に対しても、日本の救援隊派遣はいかにも対応が遅い。
湾岸戦争で130億ドルを拠出しながら、クウエートが戦後に米紙に出した感謝広告には各国の国旗が並んでいる中に日の丸だけがなかった。国際社会で尊敬される国家となるための要件に思いが至らない。普天間基地問題は、あの当時の日本と基本的な体質になんら変化がないことを意味するものだ。
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