4989 大村益次郎めざす「枝野」 岩見隆夫

<人事の佐藤>と言われ、巧みな駒の動かし方で定評のあった首相は、戦後、佐藤栄作一人である。適材適所だけでは足りない。党内操縦の効果も同時にあげた。
今回、枝野幸男元民主党政調会長の行政刷新担当相起用も両方を満たしている。<人事の鳩山>とはだれも言わないが、鳩山由紀夫首相の初ヒットだった。
「小沢批判をすれば入閣できるのか」と小沢一郎幹事長の側近議員がやっかんだそうだが、半分当たっている。枝野が一貫して小沢の厳しい批判者だったことが、この時期、つまり小沢に対する世間の風当たりが強いなかで、大きな政治的効果をあげたのだ。
枝野起用の報道をみていて、一閣僚人事がこれほど多彩に意味づけされたのは何年ぶりか、と思った。ひょっとすると、1982年暮れ、第1次中曽根内閣で後藤田正晴が官房長官に就任した時の驚き以来ではないか。
とにかく、次の言葉が並んでいた。政権浮揚、党内融和、支持率回復の起爆剤、非小沢の取り込み、局面転換、ダメージコントロール、リスク管理、小沢依存イメージの払しょく、小沢批判の封じ込め、民主党らしさ、一石三鳥……。
一連の小沢問題でうんざりしているメディアのやや過剰な期待、という印象もあるが、政権5カ月、枝野が統括した事業仕分け以来、2度目の華やぎだ。ひと息、という空気も流れている。
ところで、鳩山首相から、「民主党への信頼を回復させるために、陣頭指揮を」とまで期待された枝野とは、どんな人物か。
枝野が生まれた64年は、東京オリンピックの年である。政治少年だった。名前(幸男)の由来からして、憲政の神様、尾崎行雄(咢堂(がくどう))のユキオ、父方の祖父が尾崎を信奉し、初孫につけた。字画の関係で字は違ったが。
「僕の小学生ぐらいの時の日本政治って面白かった。田中角栄が出てきて、『太閤記』を読むような時期に<今太閤>の登場でしょう。たしか小学校6年生の時、田中逮捕だった。
アンチ金権ですよ。(反田中の)三木武夫(首相)頑張れって、子どもながらに。時代の変わり目でしたよね」と10年前に語っている(早野透著「政治家の本棚」)。もっと激しい変わり目に、田中の愛弟子、小沢と向かい合う運命になった。
親が金持ちでも政治家でもないなかで政治家を目指す定番の3コース、官僚、弁護士、マスコミのうち、枝野は官僚を避け、東北大→弁護士に。早大→マスコミも試みたが落ちた。歌手かアナウンサー、と考えたこともあったらしい。
読書遍歴を聞かれて、枝野はこう答えている。
「司馬遼太郎はほとんど全部。トータルで面白いのは『坂の上の雲』です。しかし、影響を受けたのは『花神』、大村益次郎の物語ですね。歴史や政治での役割分担というのはものすごく大事だと。
ああいう人間になりたいなと思いますね。何かの部分で、こいつがこの役割を担わないと、ほかにやれるやつがいないという人間になりたい。司馬遼太郎から影響を受けたのは、役割を担い泥をかぶれるのが立派な人間なんだ、という人間観かもしれない」(同)
語ったのは当選3回(埼玉5区)、36歳のころ。こんどの出番を予感しているかのような発言だ。
枝野は小沢にけじめを求める。その小沢を褒める人は信長や西郷隆盛を引き合いに出す。悲劇の君臨型だ。逆タイプ、旧陸軍の創立者、大村益次郎に枝野はあこがれる。面白い。(敬称略)
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