5011 ほとんどの人々が環境破壊による危機直面を信じている 加瀬英明

昨年の十二月に世界の首脳がコペンハーゲンに集まって、国連気候変動枠組条約第15回締結国会議(COP15)が開催された。
COPはデンマークのコペンハーゲンだ。この前の二回は一九九二年にブラジルのリオデジャネイロと、九七年に京都で行われた。
このところ、地球の気候変動が外交の主要なテーマとなっているが、人類の歴史上ではじめてのことだ。東西の冷戦が〃ベルリンの壁〃の倒壊したことによって終わってからのことである。
気象といえば、人にとってごく身近なものだ。だから世界の注目が集まる。今日、ほとんどの人々が環境破壊の世界的な規模で進むことによる、人類の危機に直面していると信じている。
大多数の人々が(1)地球温暖化が進行しており、(2)それが人間の活動によって引き起されていて、(3)今や危機的な段階に達しており、(4)二酸化炭素ガスの大気への放出量を削減するために、緊急な措置をとらねばならないと、考えるようになっている。
だからといって、この気候変動と取り組む会議では、いったい気象の変動がどのような原因によって起っているのか、人類にとってどれほど深刻なものなのかといった基本的な問題について、科学的に討議されることがなかった。(1)から(4)までを、疑うことを許されない既定の事実として、各国がどのように対応したらよいのか、検討された。
私は一九七〇年代から環境問題や、資源問題と取り組んできた。一九七〇年代はじめに、ローマ・クラブの報告書『成長の限界』が、世界を風靡した。
経済成長をこれ以上続けると、地球上の資源が有限であるうえに、地球環境が破壊されて、人類が滅びるから、「ゼロ成長」にしなければならないと警告して訴えるものだった。
いま、温暖化説がコンセンサスとなっているように、学界から言論界までこの「成長の限界」論の前にこぞって拝跪して、まるで羊の群れのように共鳴した。
だが、これはまったくの愚説だった。私は経済成長を停めたら、汚れた空気や、河川などをきれいにするために、必要な投資ができなくなるから、公害がそのまま残るだけではなく、悪化するほかないと反論した。
コンセンサスはほとんどの場合、科学的な根拠がないものだ。ついこのあいだまで平和憲法さえあれば、どのような恐ろしい国々があっても、日本の平和が守られるという信仰に近いコンセンサスがあったが、典型的なものだ。いま、温暖化説が安直なコンセンサスとなっているが、地球の平均気温は二〇〇一年から今日までまったく上昇していない。
読者はコペンハーゲンでCOP15が始まる一ヶ月ほど前に、インド洋に浮ぶモルディブ諸島で、モルディブ共和国のナシード大統領が閣僚とともに海中で閣議を催して、海面の水位の上昇を停めるために、地球温暖化が進むのを阻止することを訴えるアピールに署名するところを、テレビで御覧になったことだろう。全員がスキューバダイビングの出で立ちに、酸素ボンベを背負っていた。
このまま水位が上がると、海没するというのだ。テレビがしばしば島々が沈む危険にさらされている、というニュースを流している。
海中の閣議はちょっとしたイベントだったが、事実はどうだろうか?モルディブは千二百あまりの島々によって構成され、面積は佐渡島の三分の一しかないが、もっとも高い地点でも、海抜二・五メートルしかない。しかし、モルディブを囲む海面の水位は、過去三十年にわたって、まったく上っていない。一九七〇年代には、二十センチも下っている。
モルディブをはじめとする島嶼諸国を永年にわたって研究してきた科学調査団によれば、モルディブでは一七九〇年から一九七〇年にかけて、水位が二十センチ上った。十七世紀を通して、水位が五十センチ上昇していた。
太平洋に浮かぶ島々であるツバルや、バヌアツをとっても、同じことで変わらない。バングラデシュは国土の海抜が低いために、温暖化が進んで海没してしまうといって心配されているが、この三十年ものあいだ水位が上っていない。
ナシード大統領は国際的な援助欲しさに、閣僚と示し合わせてパフォーマンスを行ったのだった。その映像が全世界にわたって放映されたから、現地のディベヒ語で「やったぞ、やったぞ!」と叫んだにちがいない。
一九七〇年には、地球冷却化説が学会のコンセンサスとなっていた。冷却化が進んでゆき、異常気象が発生して、多くの地域が  早魃や、集中豪雨、砂漠化や、洪水、飢餓によって見舞われると警告された。アメリカ政府は七〇年代に地球冷却化を警告する報告書を、しばしば発表している。
それが、いつの間にか地球温暖化説によって、取って代わられるようになった。
だが、温暖化説に異議を唱える専門家はけつして少なくない。気象学の権威であるアメリカのプリンストン大学のフリーマン・ダイソン教授は、地球が冷却化と氷河期へ向かっていると説いている。それどころか、温室効果ガスは氷河期の到来を遅らせることになるから、かえって歓迎するべきだと論じている。
地球はその長い歴史のなかで、冷却化と温暖化の周期を繰り返してきた。気象変化は太陽の黒点や、海流、磁場の移動をはじめとして、複雑な数多くの要因が重なってもたらされてきた。
私は「温室効果ガス」と呼ばれる二酸化炭素ガスが、主役を演じていないと思う。
自然の大きな力を前にして、温暖化や、冷却化が人間の活動によって、ひき起されているとは考えにくい。一九九一年にフィリピンのルソン島のピナツボ火山が大噴火した年には、大量の亜硫酸ガスを放出して、地球を覆ったために、世界の平均気温が摂氏一度近く落ちた。
人間は昔から、こわいもの見たさといって、ことさら恐ろしい話を好んできた。仏教、キリスト教などの宗教をとっても、世界の終末観が示されている。また、人は罪の意識にとらわれることを好んできた。温暖化が人によって引き起されて、世界が滅びるというのは、人のような性向に適っている。
だが、温暖化説が誤まっているとしても、歓迎すべきところがある。
今日の商品や、資源を際限なく浪費する経済は、社会を道徳、倫理的に脅かすものだ。温暖化をきっかけにして、物や、資源を大切にするようになれば、健全な生活文化を取り戻すことができる。
このままゆくと、限られた資源をめぐる争奪が世界の安定を揺るがすことになる。環境重視は自然の尊厳とともに、生命の尊厳を確立する。地球温暖化の脅威は諸国に一体感をもたらし、国際協調を促すというよい面がある。
私はインターナショナルなものや、グローバリゼーションを嫌っている。エコロジーを重んじる生活がひろまれば、地産地消が促進され、無駄を排して、小さなものがよいという等身大――ヒューマン・スケールの生活習慣を取り戻すことになるから、歓迎したい。
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