5032 もとはと言えばカクマンダー 山堂コラム

前回、「小選挙区比例選挙」は小沢が作ったと書いた。これを国会で成立させたのは小沢・細川政権であったこと、そのおり記した通り。かくして日本の政党政治はいまやガタガタ。自民党なんぞは虫の息、まさに「お迎え来るのを」を待つばかり・・・。
元をただせばこの制度―――、「カクマンダー」なのである。昭和48年春、第二次田中内閣。福田赳夫大臣(行管庁長官)に突然「で君、ゲリマンダー知ってるかい」と言われた。国会開会中に各大臣が閣議後会見をする議事堂別館の政府委員室(行管は参議院側)。オラまだ駆け出しの記者で、昭和元禄の謎掛けに「ン?」・・・「ならばハトマンダーなら知ってだろう、ホッホー」とこう来た。
田中角栄内閣が選挙制度のお手盛り改変を画策している事実を(多分警鐘を込めて)それとなく若造記者に謎掛けしたのだ。ヒヨコのオラは気づかず。で、折角取れた筈の特ダネをその時は逃した。
日ならずして角さんは公職選挙法改正を打ち上げる(4月10日)。「衆議員の小選挙区比例代表並立制」である。突然の「カクマンダー法案」の提出に勿論国会は大モメ。空転に次ぐ空転。揉めてはいるのだが何で揉めているのかよく分からない紛糾。野党の社会党が反対したということになっているが、なあに本気で反対したのは自民党の非主流派―――、いや主流派もいたな。田中金権独裁を警戒する保守派、A研にAA研もだ。彼らが反対の核になって本当はこれを阻止したのである。
「社会党は国対費バラまけばどうでもなる」とタカをくくっていた角さん。「まあ、あのねー皆さん」などと汗かきかきやってはいたが、弾は後ろから飛んで来る・・・にっちもさっちも行かない。我慢の出来ないせっかちの越山、「分かった。止めた!」とスパッと取り下げたのである(5月16日の閣議)。
「一体何だったのか」と狐に抓まれたような騒ぎだった。が、その「カクマンダー」の亡霊が。なんと20年経ってから小沢・細川内閣の時に化けて出る。「恨めしやー、冷や飯やー」。亡霊を蘇らせたのは小沢だから今の制度はさしづめ「イチマンダー」だで、南無阿弥陀仏。
戦後の長きにわたってわが国の政党政治の根幹をなし、復興と繁栄・政治の活力を支えてきた選挙制度「中選挙区制」。あっという間もなく塵芥のように捨てられた。このころからもう自民党は相当アホになっていたから、反対する脳味噌とてなく、河野(洋平)総裁自らが「選挙改革、選挙改革」と叫ぶ有様。
2大政党が競争切磋琢磨して健全な民主主義政治を発展させる―――なーんて、国民を騙して成立させた「イチマンダー」。しかしその雛型となった「カクマンダー」は、そんな綺麗ごとでは決してなかった。意図や狙いは大明瞭。「衆議院議員を選挙で全部田中派にして日本国のカネと人事、ごっそり手中に収める」。これが「カクマンダー」の真の正体、八岐大蛇(やまたのおろち)。
昔の角さんも、今のイチも、はっきりしている。「政治はカネとカズ。これで全て」。さらにヒットラー・スターリンに遡れば「ともかくカネと人事を握って政敵トロッキー大粛清」。
現に民主党が政権党になったらイチはすぐやり始めた。陳情一元化・議員立法NO・チルドレン学校、あれやらこれやら。余計な説明も要るまい。社民党のオミズを抱き込んだのも、金丸(自民党副総裁)が田辺(誠・社会党委員長)誑(たぶらか)かした手口と同じ。
いまや党内でも鼻つまみになりつつあるイチの独裁・恐怖政治。その源流。それが「カクマンダー」にあることをここでは言いたかっただけです。はい、赤坂満ん賀ん、ヤクマンダー。
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