5052 がんセンター初代理事長への懸念 石岡荘十

がんセンター初代理事長といって、すぐ名前を言える人はそう多くないだろう。嘉山孝正・山形大学医学部長がその人である。業界では以前から高名な方だそうで、日本の医療政策に関して以前からの積極的な発言をしている嘉山氏に目をつけた民主党が、政権交代直後の昨年10月、中医協(中央社会保険医療協議会)委員に選任。
直後、10年ぶりといわれる今回の診療報酬の引き上げに貢献したといわれる。そして、今年4月に国立がんセンターが独立行政法人に移行するのに伴って、初代の理事長に選ばれ、一躍、“時の人”となった。
その嘉山氏が今月17日、慶應大学が催したシンポジュームのゲストスピーカーとして「医学教育の現況と問題点」と題する講演を行った。会場となった東京・信濃町の医学部階段教室には、武田純三院長はじめ白衣の医師や医学生が多数つめかけた。ここではその内容を報告しようというのではない。
この人を理事長とした人選に懸念を持った。その顛末はこうだ。Q&Aの時のことだ。以下、私との間のやり取りはこんな具合だった。
Q:11年前、心臓手術を受け、その体験を書いて出版しましたが、それまで医学についてはまったく知識がなかったので、専門の医師から、一から教えていただきました。しかし、医師の説明はきわめて難解で、普通の言葉に直して出版するまで結局4年もかかってしまいました。
入院中にも感じたことですが、難しいことを素人の患者に分かりやすく説明する、医師のコミュニケーション能力の教育がもっと必要なのではないか。
A:素人の方がたった4年で理解しようというのは無理な話です。私だって専門外の例えば宇宙工学のことを4年で学べといわれても出来ませんよ。病気を(患者に)分かりやすく説明しようとすると不正確になりますから—。と軽く一蹴されてしまった。ちょっとむっとした。
医師と患者のあるべき関係を模索した歴史を紐解くと、かつては父権主義、つまり医師は父親のように治療方針を(一方的に)決めて宣言する。患者はただ「お任せします」と平伏するしかなかった。ところが近代医療では医療サイドが病気の内容、治療方針を患者に分かる言葉でいくつか説明し、複数の選択肢の中から患者が決定する。これが基本である。
インフォームドコンセントといわれるものである。いま医師に求められるスキルはコミュニケーション能力だ。ところが嘉山氏は、「そんなの無理だ」といってのけたのである。
加えて、2時間近いシンポジュームの中で嘉山氏が使ったスライド映像は文字も小さく、読めない。どこかで使ったデータの焼き直しではないかと思わせるもので、早口。内容の密度はともかく、とても出席した人たちに分かってもらおうという熱意を感じさせるものではなかった。
講演もQ&Aの時間も終わり、何人かが演壇に駆け寄って名刺を交換し、スピーカーと直接意見を交わす風景は、この種の講演会ではよく見られるものだ。私も近寄ってみると、先生は、早々とかばんをテーブルの上に出して帰り支度にかかっており、話しかける相手の目をきちっと見つめて語り合う真摯な様子はほとんど見られなかった。
私が会場を出掛かると見知らぬ3人が近づいて来て、口々に言った。
「あなたのご本は読みました。あの答え方に納得しましたか」
「いや」
「彼(嘉山先生)には、患者に対する熱意もコミュニケーション能力はありませんね」そう、私がむっとしたのは、それが理由だった。そう感じたのは私だけではなかったのだ。
国立がんセンターは、厚労省医系技官の典型的な天下り先であり、「医系技官こそががんセンターに巣食うがんだ」とまで月刊誌などで叩かれている。このがんを根こそぎ摘出する、全摘のメスを握る大仕事を誰に任せるか。この人事については、仙谷由人行政刷新担当大臣の経歴が深く関わっている。仙谷大臣は2002年、ここで胃とその周辺組織3キログラムを摘出する全摘手術を受けている。
そのときから医療、特に最近は国立がんセンターの“がん摘出”に異常な情熱を持って取り組んできた。人選は年収2000万円で公募するというこれまでは考えられない方法で行われた。そして選ばれたのが嘉山氏だ。
昭和25年生まれ、今月19日還暦を迎えた。神奈川県の湘南高校から東北大学医学部へ。平成15年から現職。医学部長として学力重視、入試改革、授業改革を行い、2007年には医師国家試験合格率を国立大学で全国1位に引き上げた。専門は脳神経外科。
山形大学に導入された世界で3台目という術中MRIを用いた悪性腫瘍の手術療法に取り組むなど、臨床医としての実績だけでなく、国立大学医学部で初のがんセンターを創設するなどの改革に手腕を発揮する。その経歴には「初」を冠する項目が数多く見られる。臨床経験、学術実績、行政手腕も申し分の無い方のようだ。ただ長年、数え切れない取材対象をインタビューしてきた私の経験でいうと、嘉山氏の言動にはひとつだけ懸念がある。
がんセンターの患者は死に最も近い病に侵された人々である。そんな患者を「あなたの病気のことは説明できません」と突き放すことだけは無いよう願いたい。私の杞憂であればそれに越したことは無い。
         
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