5078 料亭や芸者衆は日本独特の文化 古沢襄

「盛岡芸者の復活に光 見習いに20人応募」という記事が岩手日報に出ていた。嬉しい話である。私は東京・神楽坂近くの小学校で学んだ。夕方になると父親と母親に連れられて、神楽坂の散歩に行った記憶が鮮明にある。神楽坂の裏路を行くと粋な三味線の音が聞こえてくる。
料亭を排撃する者もいるが、料亭や芸者衆は日本独特の文化である。神楽坂には保守合同の舞台となった松ヶ枝という料亭があった。三木武吉の想い者がお内儀さん。その二階で神楽坂芸者を初めてみた。
北陸には五年いた。金沢芸者も有名である。一見(いちげん)の客はいれない東の廓には縁がなかったが、浅野川沿いの主計(かぞえ)町にある茶屋街には何度か通った。若い芸者に野太鼓を叩いて貰って、北陸の酒を楽しんだ。踊りを所望すると高くつくから”学割並”の料亭遊び。
もう十数年前になるが、盛岡で一軒だけ残った料亭で渡辺美智雄氏の従弟と酒を飲んだことがある。家付きの若内儀が出てきたが、ハッとするような盛岡美人。それにつられて盛岡に行くと、この料亭を利用した。料亭の娘だから盛岡芸者ではない。だが旦那さんは料理職人、二人並ぶと美男美女の一対にみえた。
不況の嵐の中で盛岡の料亭も次々と消えていった。盛岡芸者も後継者不足で「絶滅寸前」とまで言われた。北の都で、しっとりとした料亭文化が消えていくのは寂しい。ところが、盛岡芸者の伝統を守るために盛岡市が行った定員3人の芸者見習いの公募に、全国から20人の応募があったという。これほど嬉しい話はない。
<不況による就職難の中、後継者不足で「絶滅寸前」とまで言われた盛岡芸者が、若い女性のあこがれの職業として復活しようとしている。盛岡芸者の伝統を守るため盛岡市が行った定員3人の芸者見習いの公募に、全国から20人の応募があった。関係者は予想以上の反響に驚いている。
後継者の育成事業を受託する同市下ノ橋町の邑(ゆう)計画事務所(寺井良夫代表)は、18日から芸者見習いを募集。締め切った24日までに同市のほか滝沢村、紫波町、奥州市、大阪府などから20件の応募が寄せられた。
年代は20~50代と幅広く、応募書類には「盛岡芸者さんを見て感動した」「盛岡のために頑張りたい」と、晴れ舞台にあこがれる思いがつづられている。
同社は予想以上の反響に急きょ書類選考の実施を決定。長年後継者確保に苦しんできた盛岡芸者だけに、寺井代表は「5、6人も来てくれれば上出来と思っていた」と、予想以上の人気に驚く。
応募した盛岡市の30歳代の無職女性は「着物が好きで礼儀作法などを習いたくて応募した。人数が多いようなので受からないと思うが、盛岡のために頑張りたい」と話していた。
26日には現役の盛岡芸者らが審査員を務めて面接を実施。合格者は同社で働きながら2年間日本舞踊などのけいこを積み、あこがれの芸者デビューを目指す。(岩手日報)>
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