▲矛盾だらけの鳩山政権『安全保障』への姿勢
普天間基地移設問題で鳩山政権の対応が鈍く、米国では対日不信感が高まり、日米同盟にかなり深い亀裂が入った。ところが日米安保条約の署名五十周年を迎えた一月19日に日米双方は「同盟関係の深化」を主張し、鳩山首相は「対等な日米関係」を唱えた。すなわちオバマ大統領は声明をだし、日米の外務・防衛担当四閣僚は「共同声明」を発表したわけだが、そのなかで「アジア太平洋の平和に寄与」云々と五十年に亘る日米安保条約の意義を確認している。
まことに矛盾してはいないか。
第一に現行安保条約は占領がとけてGHQが去ったあとも一方的に米国有利だった旧条約を「より平等な関係」に改定したもので、さはさりながら駐在軍属の免税など不平等な中味は今も変わりない。サンフランシスコ講和条約とセットで締結された安保条約に付帯した「日米地位協定」で日本の基地提供は明文化された。
当該第六条は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」。つまり主権国家に他国の軍隊の駐留という異常事態は、これで合法化されたのだ。
第二にもし「対等な」日米関係を言うのならば、守ってもらうばかりではなく「日本の義務」を増やすべきで、新しい同盟関係をめざす再改定を模索すべきであろう。
すなわち「日本防衛に米国は責任を負うが」「米国が危機に陥っても日本は支援に駆けつけなくてもよい」「そのために米軍に基地を提供する義務を日本が負う」という不平等な内容を「対等な関係」にするのなら論理的である。条約を改定しない限り米軍が普天間に居座り続けても日本が文句をいう筋合いはない。ところが対等と主唱し基地移転を叫ぶだけの鳩山政権から何らの建設的な提案はない。
▲自立・自尊とは何か
第三にお互いが条約の不平等を認識しながらも技術的には追加文書などでテクニカルに実質が変更されている。「極東」の範囲を超えてすでに自衛隊はカンボジア、イラク、モザンビーク、ゴラン高原そしてソマリア海域に派遣されている。
これは05年に日米双方が署名した「日米同盟 未来の変革と再編」で確認され、爾来、「周辺海域」「極東条項」などの論議は消え、集団安全保障論議も雲散霧消した。
日米安保条約から半世紀を経て、より対等な条約への改定議論がおこるべきではないのか。日本が防衛力を高めて、自分で自分を守る決意を示し、そののちに初めて基地の扱いを主張するべきであり、いまのアプローチは順番も手法もあべこべである。
自立・自尊とは、自分のくにはまず自分がまもるという姿勢を示し、そのためには最低限度の防衛力をそなえ、しかるのちに共通の利害のために同盟関係を結び、相互の防衛義務を果たすというのが本来の同盟の絆である。そうした決意もなく同盟の深化や対等を口にするのは言葉の遊びでしかあるまい。(北国新聞コラム『北風抄』)
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