<沖縄返還(72年5月)の際に、日本側が米軍用地の原状回復補償費を肩代わりした密約問題が取り上げられた19日午前の衆院外務委員会。
いち早く疑惑を報じた元毎日新聞政治部記者の西山太吉さん(78)は参考人の一人として意見を述べ、一貫して密約を否定してきた政府について「本来、裁かれてしかるべき者が全く裁かれずに今まで来ている」と語気を強めて批判した。>(毎日新聞)
政治記者1年生の時、西山さんの顔をよく見た。昭和39(1964)年7月10日、NHK政経部政治班(まもなく政治部に改称)に発令された当日、盛岡(岩手県)放送局放送部から特急「はつかり」で着任。総理大臣池田勇人が自民党総裁に3選された当日だった。
翌日、総理官邸に配属され「池田番」の日々が始まった。総理官邸記者クラブ(永田クラブ)では毎日新聞の面々と低い衝立を挟んで向き合いになっており、西山太吉さんがいた。「ニシヤマ フトキチ」と綽名されていた。態度が「太い」というのだ。
次第に判ってきたが、西山氏は佐藤栄作首相をライバル視している大平正芳氏の親戚だという。その関係で「反佐藤」記者と見なされていた。
私が総理官邸クラブに所属していたのは、僅か1年。ただし、東京オリンピックのさなか、池田首相が、喉頭癌のため退陣、後継を佐藤栄作、河野一郎、藤山愛一郎で競った結果、佐藤が決定。佐藤は官房長官鈴木善幸を橋本登美三郎に替えただけで内閣を継承した。
私は敗れた河野一郎にくっついてうろうろしていたが、翌昭和40年の7月8日には解離性腹部大動脈瘤破裂で死なれ、不遇を囲っていたが、昭和47(1972)年になると、飯島博デスクの後押しで「福田番」に抜擢された。外務大臣福田赳夫。いわずと知れた角福戦争」の主役である。
当時、西山氏は既に毎日新聞のキャップとして外務省記者たちを束ね、大平氏の僚友たる田中角栄氏のライバル福田氏を取材していたのである。
私は福田番とはいいながら、外務省担当記者じゃなく「福田派」担当記者だから、外務省で西山さんと顔を合わすことは全く無かった。時あたかも「沖縄返還交渉」が進行していたが、この担当者で有りながら、福田さんとしてはポスト佐藤をめぐるライバルの角栄氏との勝負が先行課題になっていた。
こうした仲で、かねて河野派時代から深い付き合いになっていた園田直(すなお)氏が、福田支持を表明、園田氏をつうじた福田取材も心がけるようになって行った。
この頃の角福戦争は、佐藤総理の支持を得ている福田が圧倒的に有利とされていた。だから各社派遣の福田番は各社の第一人者が派遣されていた。共同通信古澤襄、時事通信屋山太郎、読売浦田進、毎日金巌、朝日川戸弘次らである。
しかし、角福戦争は角栄氏の物量作戦に福田さんは及ばず、気息奄々と言う状態のところへ、西山氏が「福田不利」の爆弾スクープを国会に投げ入れた。それが沖縄返還に絡む「日米密約」だったのである。
私は「おかしい」と思った。なぜ、西山氏取得の極秘電報が毎日紙上に載らず、社会党若手代議士の横路孝弘氏に渡ったのか、しかも極秘電報に刻印された文書番号が削除されていないのか、西山氏の「チョンボ」ではないのか。
間もなく佐藤首相が「ウフフ」と言い出した。問題は言論問題では無いよ、男女問題だよ、というのである。なるほど外務省外務審議官付き事務官蓮見某女が西山記者と肉体関係を結び、その関係で機密文書が西山氏に流れてという構図が明らかにされた。世論は言論弾圧から一転、男女問題に落ちてしまった。
今日の毎日新聞の凋落はここから始まっている。今日になると、西山氏は恨みを晴らした英雄のように報じられるが、私から見ると西山さんは大平さんを通じて角栄氏梃入れを図り、佐藤栄作首相の足の引っ張りを策したという思いを消す事ができない。
<◇ことば 沖縄返還協定を巡る密約
72年5月に発効した沖縄返還協定の交渉過程で、米側が負担するはずだった土地原状回復費用などを日本が肩代わりすることにした日米間の密約。密約を報じた西山太吉毎日新聞記者(当時)らが72年、国家公務員法違反の疑いで逮捕された。
00年、米国の情報公開で密約を裏付ける公文書が判明。西山氏は、関係文書の情報公開などを求める裁判を起こし、06年には元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が密約の存在を証言した。外務省の有識者委員会は9日、「広義の密約」があったと認定する報告書を公表した。
◇38年前、政府は一貫否定
沖縄返還が翌月に迫った72年4月の国会でも、密約問題は取り上げられていた。旧社会党の横路孝弘議員(現衆院議長)らは、西山太吉さんから入手した外務省の機密電文を手に追及したが、政府側は一貫して密約を否定し続けた。
電文には、米軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりして対米支払いを3億2000万ドルに積み増す経緯や、肩代わりを了解する秘密書簡の作成を米側から求められていたことなどが示唆されていた。
これに対し、福田赳夫外相(当時)は「400万ドルを上乗せして3億2000万ドルとなったことはいかなる過程においてもない」「良心においてお答え申し上げる。虚偽の答弁は一切しておりません」と真っ向から否定。
吉野文六・外務省アメリカ局長(同)も「我々は(米の要求に)絶対に応じなかった。メモ(秘密書簡)はない」と述べていた。しかし、2010年3月9日に公表された外務省調査チームの報告書は肩代わりの事実を認め、政府側答弁が虚偽だったことを裏付けた。
西山さんは、機密電文を入手したことで罪に問われて78年に有罪が確定したが、最高裁決定は「早晩国会における政府の政治責任として討議批判されるべきであったもの」と国会での真相解明を注文していた。
日米密約:西山さん「裁かれてしかるべき者裁かれず…」
沖縄返還(72年5月)の際に、日本側が米軍用地の原状回復補償費を肩代わりした密約問題が取り上げられた19日午前の衆院外務委員会。いち早く疑惑を報じた元毎日新聞政治部記者の西山太吉さん(78)は参考人の一人として意見を述べ、一貫して密約を否定してきた政府について「本来、裁かれてしかるべき者が全く裁かれずに今まで来ている」と語気を強めて批判した。
西山さんは、密約問題を巡り外務省の事務官を通じ機密電文を入手したとして国家公務員法違反の疑いで72年に逮捕された。服部良一委員(社民)から「ある意味人生をむちゃくちゃにされた。国や外務省に言いたいことはないか」と問われた。
西山さんは「公平なる裁き、法の下の平等、その原則が完全に破られてしまった。本来、裁かれてしかるべき者が全く裁かれずに今まできている」と心情を吐露した。
西山さんは「政府の密約は今まで全く追及されてこなかったが、ようやく三十数年たって検証された。日本の構造や日本全体を覆っているグレードの低さが問題。司法も政府権力もマスコミも。そして主権者の政治意識も全部その中に入ってくる」と訴えた。
西山さんは自ら報じた密約疑惑について「氷山の一角」と指摘し、その後の「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)につながる日本側の財政負担を決めた「密約」について「最も国民が知らなければならないものだ」と力説した。
外務省内で密約関連文書が廃棄された疑いにも言及し、「官僚ベースでは明らかにされない。国会が国政調査権を発揮してほしい」と指摘した。
西山さんは委員会終了後、「何十年ぶりの国会で戸惑いと緊張で上がってしまった。こういう場で発言させてもらう日が来るとは想像だにできなかった。隔世の感がある」と感想を述べた。>(毎日新聞)
有夫の外務事務官を不幸に陥れた事実は、すっかり消えてしまった。
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5221 西山発言に思うこと 渡部亮次郎

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