5230 日本の流れが変わりつつある  加瀬英明

いま、日本人の精神のありかたが、変わろうとしている。日本はあきらかに勢いを失っている。日本では、”バブル”と呼ばれた経済が破綻してからというものの、「失われた10年」とひろくいわれた。
 
ところが、その後も経済がずっと低迷して、10年が「失われた20年」となってしまった。先進諸国のなかで20年を失った国は、日本だけだ。そのうえ、将来へ向かって、明るい展望を描くことができないでいる。
今年中に、世界第2位の経済大国の地位を、中国に譲るのが必至といわれる。私たちは日本が1980年代に、世界第2位の経済大国の地位を獲得してからというものの、その地位を誇ってきた。
ずっと心を経済力に預けてきたから、世界第2位の経済大国だということが、日本を日本たらしめていた精神的な支柱となってきた。これから、この誇りが失われるのだ。このように日本が力を衰えさせているために、日本の力がどこから発しているのか見直そうという、気運がたかまっているように思われる。いつだって國として、誇るものが必要だ。
国民が右肩上りの経済に酔い呆れていたあいだは、眼が心の外へ向けられていたものだった。これから、眼が心の内側へ向けられるようになろう。民主党政権が国民の圧倒的な支持を受けて、誕生したばかりだというのに、鳩山首相と小沢幹事長が巨額資金をめぐって疑惑にまみれている。
2人が日本の顔となっているために、日本は世界中から侮られるようになっている。
そのかたわらでは、家族が崩壊し、凶悪犯罪が増えて、日本が落ちるところまで落ちてしまったようにみえる。だからこそ、日本を蘇らせたいという気運が、芽生えているのだろう。日本の伝統的なよさを取り戻したという意識が、強まるようになっている。
私の個人的な体験を述べたい。私は昨年12月にPHP研究所から、武士道について講演をするように依頼された。PHP研究所は松下幸之助翁によって、創立された。
私は松下政経塾の役員を長くつとめて、昨春に相談役で退任したので、喜んで引き受けた。PHPの事業として、数年前から武士道学校を発足させたということだった。講演は研究所の本部で行われたが、受講生は大学生から高齢者の夫婦まで、100人あまりだった。代々木オリンピック記念公園で午前6時から体操することから始まり、3日にわたる教課が行われるというものだった。
そして、偶然だったが、同じ週に都内のある会社から、やはり武士道について講演を依頼された。その会社の会議室で、60人ほどの会社の関係者に話した。今年に入ってから、その会社が中心となって、私の近著の『徳の国富論』(自由社、11月刊)の読書会が、都内のホテルで毎週火曜日の午前7時半から、朝食をとりながら催されるようになった。50人前後が参加している。今朝は7回目の読書会が行われた。
武士道への関心もたかまっている。武士道というと、武士に限られていると思われがちだが、そうではけつしてない。江戸時代を通じて武道について、さまざまな本が著わされたが、武士道の教典が存在するわけではない。
武士道は日本国民が長い歳月をかけて培ってきた精神が表われたもので、武士の専有物ではない。庶民も同じような精神を持っていた。それが武士道になったもので、はじめに武士道ありきだったわけではない。
武士道には、教義がない。ユダヤ教やキリスト、イスラム教などの宗教と異なっている。
一言でいえば武士道は、「己の欲望を抑えて、公のために働く」というものだ。武士道は、男の独占物でもなかった。明治の日本を築いた優れた男たちは、日本の母が育てた。
このところ、天皇の存在について、国民の関心がたかまっている。これまで大多数の若い人々が、皇室について思うことがなかった。この3月から出版社大手の小学館が『皇室の20世紀』を全40巻・DVD付きで隔週発刊するというので、協力を求められた。編集者が「社運を賭けた企画です」と、いった。
天皇について関心が深まっているのも、日本が歴史を通じて蓄えてきた力について学びたいと、願うようになったからであろう。私は「日本マイナス天皇」という数式の答が、「中国か、朝鮮」(韓国)だと考えてきた。日本が中国や、朝鮮のように周期的に乱れることがなく、国民が和を重んじてきたのは、万世一系の天皇が存在してきたことによると思う。あるいは和を重んじる精神が、天皇という政治文化の傑作を創りだした。
いま、民主党政権のもとで、政治が大きく混乱しているが、国民が不安に駆られて、狽えることがないのは、天皇の存在がこの国に安定感を、もたらしているからだろう。私は昨年11月に皇居前広場で催された、天皇陛下御在位20年の祝典に参列した。午後6時を過ぎていた。
両陛下がほどなく二重橋に出御されるというアナウンスがあって、暗い空のもとを振り向くと、広場を埋めた3万人が掲げる、奉祝提灯の明るい光の長い帯が揺れていた。その背後に、超近代都市である東京の高層ビルの無数の窓が、いつものように瞬いていた。
参会者が万歳を繰り返して唱えて、高くかざした奉祝提灯を打ち振った。私は21世紀の世界のなかで、日本だけが近代と古代が見事なまでに融合している国であることに、あらためて感動した。
日本は世界の国のなかで、古代の神話が今日でも生き生きと息づいている、唯一つの国である。古代が古代になっていないのだ。
皇居の構内にある宮中三殿において、古代に発する宮中祭祀が、今日でも連綿として執り行われている。皇室はお歌の伝統を継いでこられた。朗々と詠まれるお歌は、言霊(ことだま)を運ぶ祈りである。神社建築も上代の様式を伝えている。戦後、造営された新宮殿は神社建築と同じ高床式が用いられて簡素で清々しく、他国の贅を凝らした王宮にない気品に溢れている。
ギリシアにはギリシア神話が、イタリアにはローマ神話がある。しかし、過去に属しており、現代にかかわらない。ギリシアのアテネの丘にたつアクロポリスは、廃墟であって遺跡でしかない。それに対して、伊勢神宮は20年ごとに遷宮式が行われて、原型に忠実に建て替えられ、現在に及んでいる。
中国、朝鮮では易姓革命と呼ばれるが、皇王位の簒奪者がしばしば現われ、国を奪って、私した。新しい王朝はかならず人民を収奪して、贅に耽った。中国、朝鮮では王朝と民衆は、つねに対立関係にあって緊張していた。125代にわたるなかで、贅のかぎりをきわめた天皇は1人もいない。
このような国は、他にない。日本は大きな力を秘めている。
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