5281 中国を正しく知ろう、歴史に学ぼう 加瀬英明

中国が眩しく輝いているように見える。中国経済が巨大化しているために、東南アジアの国々が中国へ草木のように靡いている。日本でも、小沢一郎与党幹事長が数百人の群臣を率いて、北京へ朝貢したことは記憶に新しい。
中国が勢いを増して、まるで「すべての道が、中国へ通じている」ようである。中国は謎の国である。いったい、どのような国なのだろうか。中国人は「中国に五千年の歴史がある」といって誇る。四千年の歴史ともいわれる。
多くの中国人が漢民族全員が中国の伝説的な始祖の黄帝の末裔であると信じているが、黄帝は西暦で数えて紀元前2704年に生まれたとされている。
中国はアッシリア、バビロニアのメソポタミア、エジプトと並んで、人類文明発祥の源流の地だった。だが、メソポタミアや、エジプト、古代ギリシアや、ローマ帝国といっても、遠い過去の栄華となっている。だが、中華帝国は19世紀に阿片戦争に敗れてから、ごく最近まで力を失っていた。それにもかかわらず、逞しい生命力を保ってきた。
中国は阿片戦争を境にして1世紀以上にわたって、”屈辱の時代”を強いられたが、トウ小平による開放経済を出発点として、中華帝国の逆襲が始まった。中国は「合久しければ分、分久しければ合」というように、統一と分裂を繰り返してきたが、漢から清に至るまで超大国だった。
ところが、中華帝国は国ではない。そこで、国に名前がなかった。中華、中国という言葉が示すように、中国こそが世界の中心であり、中国の天子が全世界を支配していると信じたから、国名を必要としなかった。日本で「内外」というところを、中国では「中外」という。
漢、隋、唐、元、明から清まで、すべて王朝名である。清がイギリスに阿片戦争に敗れて、1824年に南京条約に調印するのを強いられた時に、王朝名をはじめて国名として便宜として用いた。中国はそうすることによって、1つの国となった。
中国人は中華文明文化が唯一つの真当な文明文化であり、中国が世界の中心であると信じてきた。このような思い込みは、今日でも中国人のDNAのなかに、滔々と流れている。中国人にとっては、中華文明こそが何よりも心に近く、大切なのだ。
黄帝は中国人の誇りだ。黄河、黄袍(皇帝の衣)、黄屋(天子の敬称)、黄龍(もっとも縁起がよい動物)というように黄色によって魅せられている。日本では黄色人種というと、快くないが、中国人は黄色人種が白人種よりも、優れているとみなしてきた。
中国人の優越感は中華文明文化から発している。世界を華と夷に分けて、華化されれば徳化されたのであり、夷は化外の地に生きていた。
だから中国には国境線がなかった。中華帝国が力によって占拠した地域が、中国となった。したがって、中華帝国が侵略を働いたとは考えずに、中華文明に吸収されたと解釈した。中国は国を装った文明なのだ。中華帝国には恐ろしいことに国境線がない。
漢民族という言葉は、もとから存在しなかった。今日でも、同じ漢人といっても、北京の人々と、百越など南方系の広東人では、背丈も、骨格も異っている。漢人は漢字と儒教を共有することによって、そう称されるようになった。漢民族という言葉は、19世紀末につくられた。孔子は『春秋』のなかで、夷を「中国に服従しない胡」(野蛮)と定義している。
漢人の漢は紀元前206年から220年まで、400年にわたる統一王朝だった漢に由来している。秦(紀元前221年~紀元前206年)が中国をはじめて統一したのに、秦人といわず漢人というのは、中国人がことさら雄大なものを好むからだろう。秦は15年しか続かなかった。始皇帝は文字を統一して、今日の漢字をつくった。
フランス語のチナ、英語のチャイナ、支那という言葉のもとは、秦の発音がインドの古代サンスクリット語から発している。中国人は日本人が支那というと憤るのに、チャイナ、チナと西洋人がいっても託つことがない。中国人は功利的だから、いまだに慢心している西洋の白人には敬意を払うものの、虚弱になった日本人は許せない。
中国人は国外へ移住しても、同化しない。マレーシアは中国系が人口の4分の1を占め、インドネシアをはじめ東南アジアにも、華僑が多い。ところが、どこへいっても閉鎖的な華人社会を形成して、現地の人々を見下している。
2008年の北京オリンピック大会の時には、オーストラリアのキャンベラから、クアラルンプール、ジャカルタ、バンコク、ホーチミン、香港まで、聖火リレーを夥しい数の華僑が熱狂して迎えた。長野でも同じことだった。このこと一つをとっても、外国人に参政権を与えるべきではない。
1980年以降の中国の経済発展は、台湾、香港や、東南アジアの中国人による投資によって、大きく助けられた。インドや、ロシアをとると、国外に移住したインド人や、ロシア人について同じことがいえないのと対照的である。
1989年に、天安門事件が起こった。ところが、この虐殺事件は凄惨をきわめたのにもかかわらず、政権が行ったことだったから、人民がすぐに忘れた。10年後もそうだったし、まだ20年しかたっていないのに、深い傷になっていないことに驚かされる。
これは他の国であれば、考えられないことである。天安門事件はソ連の共産政権が崩壊したのと、ほぼ同じ時に起こったことから、多くの専門家が中国でも共産政権が倒れることになると、予想した。だが、そのような見方は当たらなかった。
中華文明は漢字と儒教によって支えられてきた。儒教は紀元前5世紀に、孔子が始祖となった。毛沢東主席を領袖とした中華人民共和国が、孔子と儒教を目の敵としたのにもかかわらず、共産体制は儒教によって維持されていた。だから共産主義が思想として破産しても、独裁体制が少しも揺るがなかった。
儒教政治は最高権者が徳を備えており、民が従うことのうえに成り立っている。毛沢東主席も徳の權化であるとされた。儒教がマルキシズムの衣をまとっていたにすぎなかった。儒教では民は依らしむべきものだから、どのような嘘をついてもよい。人民文化大革命も下から盛りあがった大衆運動ではなく、上からつくられたものだった。
トウ小平、江沢民後の中華人民共和国も、儒教体制であることに変わりがない。中国人にとっては、王朝と自分の一族が大事なのだ。現政権の幹部たちも白髪を嫌って、全員が髪を染めているが、孟子が白髪の老人に重い仕事をさせるべきでなく、労わらねばならないと教えたことに発している。
この30年ほどのあいだに資本家が生まれているものの、新しい勢力とはならない。商人たちは政治的な自由に関心がなく、高官と結託して政治権力を利用することに汲々としている。中華帝国では人民も国も、すべて天子の私有物だとみなされた。官の腐敗が続いていることも、変わらない。
中国は巨大な空間――面積を支配して、多くの少数民族を抱えているが、少数民族も含めて中華民族だと呼称している。インドや、アメリカも多民族国家であるが、インド民族とか、アメリカ民族というような突飛な呼びかたはしない。
といって、中華民族は平等ではない。新疆ウィグル、チベットが好例だが、華化されるまでは敵視されて迫害される。中華文明文化以外は、夷である。
中国は日本を徳化することを狙っている。中国はかつて「アジアの病人」と呼ばれたが、いまや日本がそうなったのではないか。
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