きょうは、例のぎっくり腰の関係で横になって本を読んで過ごしていたのですが、その際に2度も「ポイント・オブ・ノー・リターン」(引き返せない地点)という言葉に出会ってしまいました。そんなにしょっちゅう、書物で目にするような言葉ではないのに、全く別の本で、しかも脈絡も何も関係のないところでです。ただの偶然に決まっていますが、こういうことがあると少し考えさせられますね。
一つは、月刊「文藝春秋」5月号に掲載された岡本行夫氏の論文「ねじれた方程式『普天間返還』をすべて解く」の中で出てきました。鳩山首相は、外交ブレーンの寺島実郎氏の言うままに「対中関係を強化すれば対米関係もよくなるだろう」と安易に構えて振る舞っていたら日米関係も普天間飛行場移設問題もこじれるばかりだったという反省から、昨年末ごろから一時期、岡本氏に首相補佐官就任を要請したりしていましたね。
でも、結局は「(反米傾向の強い)寺島氏をとった」(政府関係者)と言われます。つい最近も米タイム誌のインタビューに「今までは米国の主張を受け入れ、従属的に外交を行ってきた。一方的に相手の言いなりになるよりも、お互いに議論を通じ、信頼を高めていく」と強調していますね。一見もっともな意見のようですが、米国にすれば「まず(日米合意という)約束を守ってから言えよ」というところでしょうか。実際、岡本氏の側も鳩山政権を見放した印象があります。論文にはこうありました。
《県外に移設先を見つけることは、現実には容易ではない。県外移設を主張した人々は、普天間飛行場だけを切り取ってどこにでも移せると思ったのではないか。普天間のヘリコプター部隊は沖縄に駐留する海兵隊の足だから、本隊から切り離すことはできない。移すのなら一万人の海兵隊員、キャンプハンセン、キャンプシュワブ、北部訓練場、瑞慶覧の施設群の全てを一緒にだ。そんな場所が簡単に見つからないことは、誰でもわかる話だ。》
「県外移設を主張した人々」って、鳩山氏のことでしょうか。もしそうだったら、岡本氏がいう「誰でもわかる話」をいまだに理解していないように見えますが。で、この文の後に最初の「ポイント・オブ・ノー・リターン」が出てきたのです。
《それなのに、根拠の薄い過剰期待を与えられ、県民感情はポイント・オブ・ノー・リターンを過ぎてしまった。時間が経つとともに県内移設に対する沖縄県民の反感は強くなり、いまや「県内移設」を求めることは難しくなってしまった。》
これを読んだときには、ふーん、この人はこういう表現をするのかと思っただけだったのですが、その後、読みかけだった北森鴻氏の「うさぎ幻化行」(東京創元社)を手に取ったところ、またこの表現が出てきたのです。北森氏は、このブログの読書シリーズでも何度か紹介してきた私のお気に入りの作家だったのですが、今年1月25日に急逝しており、この作品が遺作となっていました。
そのもうすぐ読了という284ページを開くと、いきなりこう始まっていました。
《ポイント・オブ・ノー・リターン。戻れない場所に立つ人間とはどのような種族なのか。一瞬、圭一が不治の病にでも冒されたのかとも思った。絶望の淵に沈み、そこから病魔に闘いを挑むことを回避して、一人静かに誰に看取られることもなく消えてゆく気になったのか。野良犬や野良猫がそうであるように。》
シリアスで詩情あふれる遺作を「これが最後の作品か」と味わいながら読んでいたのですが、突如、文中の「圭一」が「由紀夫」だったらどうだろうかという不謹慎な思考が紛れ込み、集中できなくなったのでした。まあ、一人静かに消えてゆくタイプではないでしょうし、絶望の淵に沈んでいるようでもありませんが、どうせいつかは消えるなら、党最高幹部を何人か道連れにしてほしいとも思います。
私は北森氏の「蓮丈那智フィールド・ワークシリーズ」や「旗師・冬子シリーズ」、「香菜里屋シリーズ」が大好きだったので、もう新作が読めないかと思うととても寂しい気がします。何か言いたいエントリかよく分からない内容となってしまいましたが、とにかく、国も社会も人生も、ポイント・オブ・ノー・リターンの繰り返しと積み重ねでここまで来たのかなあと、そんなことを改めて感じた次第です。
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5360 なぜか「ポイント・オブ・ノー・リターン」に出会う日 阿比留瑠比
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