5373 中国はなぜアメリカに譲歩したか 古森義久

胡錦濤国家主席がオバマ大統領に対し、イラン制裁に関して協調的な言明をしたのは、なぜなのか。そのへんの「中国の譲歩」の背景や理由について記事を書きました。
もっとも中国側はイランへの追加制裁についても、協調の姿勢をみせながら、いざ具体的になにをするかとなると、うまく逃げています。つまり実際にはなにもしない可能性もあるのです。
                   =======
【ワシントン=古森義久】12日の米中首脳会談はこのところ対立をあらわにしていた両国の歩み寄りを強く印象づけた。この米中再協調の背景には両国のそれぞれの実利を踏まえての柔軟な動きがあるが、中国側の譲歩がより大きいといえるようだ。
                   ◇
中国の胡錦濤国家主席は同会談でイランへの追加制裁への協力を明示した。米国が、核兵器開発のためとみられるイランのウラン濃縮作業を阻もうと国際的追加制裁を国連主体に進めてきたのに対し、中国は一貫して消極姿勢をみせ、とくに米国が台湾への武器売却を発表した1月末以降ははっきり拒否の態度をとってきた。
国連で拒否権を持つ安保理常任理事国の中国の拒否は絶対の重みを発揮した。
                   ◇
■台湾・チベット問題 メンツ失わず
中国側では米国の台湾への武器売却に対し、両国の軍首脳交流をただちに打ち切るほか、台湾に武器を売る米国企業に制裁を科すことや、中国が保有する米国債を大量に売ることが「報復」として語られた。
                   ◇
その後、中国が「分裂主義者」と断ずるチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世がワシントンに招かれ、オバマ米大統領と会談し、さらに米国のインターネット大手のグーグル社が中国当局の検閲に抗議して中国本土撤退へと動くにつれ、中国側の対米姿勢はさらに硬化した。
胡主席が今回の核安全保障サミットには出席しないという見通しまでが中国側では非公式に述べられた。
しかし米国側は、台湾への武器売却は中国の軍拡に対する台湾の防衛能力向上という「台湾関係法」での責務であり、ダライ・ラマ受け入れも宗教の自由や人権の尊重という米側の基本的価値観の順守の範疇(はんちゅう)だとする基本線をゆるがせにしなかった。
とはいえ中国との全面的な対立は、イランや北朝鮮の核問題など目前の課題の解決を難しくするという判断から、オバマ政権は3月はじめスタインバーグ国務副長官らを中国に送り、同政権が「一つの中国」や「台湾、チベットの独立への反対」という基本政策を不変とする立場を再言明するなど、オリーブの枝を差し出した。
中国はこれに応じる形で、イランへの追加制裁の許容や胡主席の核安保サミット参加という方針を米側に伝えるようになった。
オバマ政権はさらにそうした譲歩を助長するように、4月15日に予定していた「為替操作国の発表」を延期することを決めた。
                   ◇
こうした微妙なやりとりについて、戦略国際研究センター(CSIS)の中国研究学者、ボニー・グレーザー氏は「米国政府側は中国がメンツを失わないで対米協調態勢を再び組みたいと望んでいることを察知して、巧みに動き、中国側もそれに応じ、より大きな譲歩をする結果となった」と論評した。
米中関係の動向に詳しいワシントン・ポストのジョン・ポンフレット記者も、最近の両国間の再接近を追った長文の記事で「中国がより多くの譲歩をした」と報じた。
だがこの米中再協調の構図も両国の当面の利害関係の産物であり、米側では中国の一党独裁や大軍拡への反発は水面下でゆるがせにしていない。
そんな米国に対し中国がより多くの譲歩をしたという今回の展開は、中国側がまだまだ米国との全面的対決を避けたいとする基本姿勢をまた露呈させたのだといえよう。
                   ◇
■米中関係をめぐる最近の動き
2009年 1月 オバマ大統領就任
      4月 オバマ大統領と胡錦濤国家主席がロンドンで初会談
     11月 オバマ大統領が初訪中、米中共同声明を発表
2010年 1月12日 米グーグルが中国からの撤退検討を表明 
      1月29日 米政府が台湾への武器輸出方針を発表
      1月30日 中国が米中両国の軍の相互訪問一時停止を表明
      2月18日 オバマ大統領がダライ・ラマ14世と会談
      3月22日 グーグルが検索事業で中国本土から撤退
      4月 1日 オバマ大統領と胡主席が電話会談
      4月12日 ワシントンで米中首脳会談を実施
                   ◇
【用語解説】イラン核問題
2002年8月、イランが国際原子力機関(IAEA)に申告せず核開発を進めている実態を反体制派が暴露。国際社会の圧力を受け、いったんはウラン濃縮活動を停止したが、アフマディネジャド大統領が濃縮活動を06年2月に再開した。
国連安全保障理事会は原発建設支援などを提案し活動停止を促したがイラン側は拒否。その後、安保理は3度にわたり制裁決議を採択した。イランは今年2月、濃度約20%のウラン製造を開始するなど核開発を拡大。安保理常任理事国などが追加制裁を協議している
杜父魚ブログの全記事・索引リスト

コメント

タイトルとURLをコピーしました