5409 とてつもなく高い岩手の文芸レベル 古沢襄

NHKの大河ドラマでお馴染みの作家・高橋克彦さんが朝日新聞の岩手県版に私の父・古沢元のことを書いていると、共同盛岡支局の広田幸さんから知らせて頂いた。高橋克彦さんは朝日に「みちのく 夢 未来」の表題でコラムを連載している。四月二日のコラムは「偉大な先人の著作後世に」だった。
高橋克彦さんは『炎立つ』『火怨』などの歴史小説のほか、ホラー、ミステリー、時代小説など、幅広いジャンルで活躍する作家だが、東北地方を舞台とする作品が多い。東京でなく盛岡市に住居を定めて久しい。東北で最初の直木賞作家となった大池唯雄さんも、大佛次郎さんから上京して、作家活動を続けるように勧められたが、仙台市外に住居を定めて執筆活動を続けている。
仙台の旧制第二高等学校(東北大学)で父と同級生だった大池唯雄さんは「東北こそが歴史の宝庫」と生涯言い続けている。
それにしても高橋克彦さんは当代随一の人気作家。第29回江戸川乱歩賞、第7回吉川英治文学新人賞、第40回日本推理作家協会賞、第106回直木賞、第34回吉川英治文学賞、第53回NHK放送文化賞と文学賞を総なめにしている。
六月に西和賀町湯川の山人(やまど)旅館でお会いすることになった。今から楽しみにしている。
<<四月二日の朝日コラム>>
そろそろ自分も歳(とし)なんだろうなー、とむしろ嬉(うれ)しい気持ちに包まれた。
と書けば、なんのこっちゃ、となるけれど、数日前のことである。西和賀町で執り行われた親類の葬式後の法事の席で、町出身の作家古沢元さんの話を聞かされた。大方はご存じないだろうが、古沢さんは戦前に活躍した左翼系の才能豊かな書き手であって、昭和15年(1940年)には「紀文抄」という作品で第12回の直木賞の候補にまで挙げられている。が、それから間もなく応召され、敗戦後はシベリアに抑留の憂き目に遭い、その地で亡くなった。享年38。もしその不幸がなければ作家として大成できたであろう逸材だった。
余談だが、この当時の岩手の文芸レベルはとてつもなく高い。昭和18年には森荘已池さんが「山畠」と「蛾と笹舟」の2作で第18回直木賞受賞、さらに翌年には佐藤善一さんが「とりつばさ」で第20回の直木賞候補に推されている。運に恵まれていれば5年の間に岩手県から3人の直木賞作家が誕生していた可能性があったわけで、なにやら眩暈(めまい)すら覚える。しかもこの三人、とても近しい間柄だったというからさらに驚きだ。互いに切磋琢磨(せっ・さ・たく・ま)していたのだろう。
話を古沢元に戻す。
それほどの実力作家だったのに今はほとんど忘れ去られている。その作品のほぼすべてを網羅したものが、実は数年前に沢内村教育委員会によって刊行されていた。いた、と書いたのは寡聞にして私がその事実を知らなかったからなのだが、聞かされて、ただただありがたく感じた。文芸に生きる者にとっては作品がいつまでも生き残ることこそなによりの願いだ。それを彼の故郷の人々が果たしてくれたのである。と同時に私の頭の中には森さんや佐藤さんのことが浮かんでいた。お二人の著作も現在では簡単に手に入るとは言い難い。
これは岩手にとって恥ずかしいことではないのか。もっと言うなら岩手の文芸を率いた鈴木彦次郎さんの作品とて古書でしか探せない。せめて数冊でも偉大な先人たちの著作が常に書店の棚にあるようにしたい。それが文化を大事にするということだ。なんとか私が果たしたい。興奮して応じた後に感じたのが冒頭のものである。
少し前までは自分のことだけで手いっぱいだった。私にもいくらか余裕が生まれてきたということだろう。
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