5450 ウィグル・マフィアの失脚 宮崎正弘

十六年に亘って新彊ウィグル自治区を支配した極悪人。王楽泉書記、ついに失脚。「山東マフィア」にも捜査のメスが入るか。
ウィグルの民の敵=王楽泉は新彊ウィグル自治区の党書記について十六年、事実上、かれが「新彊皇帝」として君臨し、好きかっての政治を展開してきた。
王楽泉の弟一族が利権を寡占し、さらに出身地山東省の人脈が利権によるマフィアを形成し、一方でウィグルの民を虐げてきた。
ウィグルは天山山脈の河川、水利利権、コルラの油田、ガス田の利権。砂漠を東西にわたるガスのパイプラインなど夥しい開発利権がある。
天然資源に恵まれたウィグルから原油、ガス、希少金属を「盗掘」しているのが漢族という認識をウィグル族はする。この矛盾に満ちた社会構造、しかもロブノール周辺での核実験はウィグル族十数万人が犠牲となった。
一方でイスラム寺院を破壊し、カシュガルの古都を損壊してムスリムの反発を買い、グアンタナモ基地に収容されていたアルカィーダ関係の過激派を、(亡命していた)カンボジアと取引して奪回し、こうした徹底的な独立運動封じ込めに、世界中からの非難を浴びた。
ウィグルの娘達を山東省の工場へ追いやり、漢族と強制的に婚姻させたり、ついには沿岸各地で漢族vsウィグル族労働者との暴力沙汰、殺傷事件が切っ掛けとなってウィグル暴動に発展した。
王楽泉一派では収拾できず、イタリアG20に出席していた胡錦涛は急遽、北京へ戻った。このとき留守役の責任者=習近平はおろおろするばかりだったという。
王楽泉はウィグル各地で宗教指導者、独立運動家を弾圧し、血の粛清を加え、北京中央も、この男をかばう理由をなくした。
王は上海派とも繋がり、上層部へ賄賂をおくって政治生命を保ってきたが、ようやく党中央はかれの更迭を決めた。王楽泉はウィグルを離れ、北京の閑職へ左遷された。
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