誰が鳩山氏に知恵をつけたか分からないが、徳田虎雄氏がいる病室まで押しかけ、普天間の徳之島移設で協力を要請したものの、すげなく断れられた。
徳田氏は義を重んじる風雲児である。十数年前のことになるが、累積赤字に苦しむ岩手県沢内村の村立病院の再建策で知恵を借りたことがある。「医者なら深沢村長が奮闘した沢内村のことは、よく知っている」と協力を約束してくれた。
貧しい徳之島で二人の弟が病気になり、豊秀氏の容態がおかしくなった。小学校の三年生だった徳田氏が医師を訪ねても来てくれない。こうして豊秀氏を失った徳田氏は猛勉強して大阪大学医学部に入り、救急医療の旗印を掲げた。この話をした徳田氏の目にうっすらと涙が浮かんでいた。
しかし徳田氏の前に立ちはだかったのは日本医師会。救急医療の旗印を掲げ、全国に病院、診療所を設けた医療法人徳洲会だったが、日本医師会によって徹底的に叩かれた。バックには医師会を握った田中軍団の妨害がある。だから徳田氏は大の角栄嫌い。
徳田氏の病院経営は、個人商店でなく全国チエーンを持ったスーパー経営に似ている。全国チエーンだから、最新の医療機器も安く買えるし、医師も全国チエーンの中で回せる。患者から菓子折ひとつ貰ってもクビにするという厳しい経営手法を貫いている。
お坊ちゃん総理の鳩山氏が思いついた様に来られても、徳田氏は答え様がなかったのであろう。
<鳩山首相は28日午前、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、都内で徳田虎雄・元衆院議員と面会した。
首相は政府が検討している同飛行場のヘリコプター部隊の鹿児島県・徳之島への移転に向け、現職時代に徳之島を選挙区とし、現在も地元に影響力を持つ徳田氏の協力を求めたが、徳田氏側は協力は難しいとの考えを伝えた。
面会には徳田氏の次男で自民党衆院議員の徳田毅氏も同席した。毅氏は、記者団に「基地の話も出た。(虎雄氏は)『基地は無理だ』と伝えた」と述べ、移設への協力要請を断ったことを明らかにした。(読売)
<鳩山由紀夫首相は28日午前、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡り、東京都内で鹿児島県徳之島出身で同島を選挙区とした旧自由連合代表の徳田虎雄元衆院議員と約1時間会談した。首相は徳田氏に対し、海兵隊部隊1500人規模と、訓練の一部の徳之島への移転を提案。これに対し、徳田氏は「基地は無理だ」と述べ、実現は困難との考えを示した。首相が徳之島移設案の具体的内容を示したのは初めて。
政府内では当初、普天間ヘリ部隊の大部分を徳之島に、一部を米軍キャンプ・シュワブ陸上部(同県名護市辺野古)に移設する分散移転案を検討していた。しかし、米側が「沖縄の陸上部隊と県外のヘリ部隊の距離が遠すぎる」と難色を示したため、防衛省は分散移転を事実上断念し、シュワブ沿岸部などにくい打ち桟橋方式で代替施設を建設するなどの修正案で米側と交渉する方針に転換していた。
首相の提案は、こうした防衛省の意向に対して、なおも「県外」にこだわる姿勢を示したものだが、徳田氏が受け入れ困難との見方を示したことで地元の理解を得るのは一段と困難になったとみられる。
会談には次男で自民党衆院議員の毅氏(鹿児島2区)が同席。終了後、首相官邸で平野博文官房長官と面会した。(毎日)>
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