参拝すれば総理大臣になれるという「出世明神」が埼玉県日高市新堀にある。鳩山首相の祖父・鳩山一郎氏もこの神社を参拝した後に首相官邸の主になった。歴代の総理大臣では浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎氏らが参拝していた。政治家というのは”縁起”を担ぐところがあるらしい。
私も数年前に友人夫妻に連れられて参拝した。総理大臣になりたかったわけではない。高麗神社(こまじんじゃ)という名のこの神社は、古代日本と高句麗の関係を示す歴史遺産を遺している。高句麗の遺民が古代に関東地方に足跡を残していたことに興味があった。
千五百年近い昔の話になる。紀元前37年頃から668年まで、中国東北部(満洲)南部から朝鮮半島の大部分を領土とした高句麗という大帝国があった。朝鮮半島の南東部にあった新羅と中国の唐の連合軍によって滅ぼされた。
高句麗滅亡後、平安時代初期の815年に嵯峨天皇の命により古代氏族名鑑「新撰姓氏録」が編纂されている。そこに高句麗から渡来した氏族の名が四十一人出ている。
詳しくは渡来人系の氏族を「諸蕃」と称して、326氏を出身地別に五分類してある。中国の、「漢」として163氏。朝鮮の「百済」104氏、「高麗」(高句麗を指す)41氏、「新羅」9氏、「任那」9氏が挙げられている。どこにも属さない氏族として117氏。
「高麗」41氏については、”高句麗王の末(一族)か?”として、高麗、難波、大狛、黄文、長背、豊原、桑原の姓が出ている。最初に高句麗の遺民たちが海を渡って日本に渡来したのは佐渡島だという説が有力である。
高麗神社の案内板には「霊亀2年(716)5月、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国から高句麗人1,799人を武蔵国に移し、高麗郡を創建した」と続日本紀の記載を引用して、高麗郡の長となった高麗王・高麗若光の神霊を祀り、高麗神社と称したと創建の由来を伝えている。
高句麗はツングースの騎馬集団が南下して作った国家といわれる。古くはツングースの粛慎族で、高句麗にきた者を靺鞨(まつかつ)族と呼んでいる。高句麗の建国神話では、始祖・東明(とうめい)王は、扶余国の王族の出だということになっている。
「三国史記」の朱蒙伝承にある高句麗の建国神話が面白い。
扶余王解夫婁(かいふろ)は子がなく山川の神を祭って嗣子を求めた。そうすると金色の蛙形の小児を得て、金蛙(きんあ)と名付け、これに位を譲った。金蛙は鴨緑江の河神の娘・柳花をとらえて問うと「私は天帝の子と交わったが、その後彼は戻ってこない」。
金蛙はこの話を不思議に思って柳花を部屋に閉じ込めた。柳花は日の光にあたると妊娠して大きな卵を生んだ。やがて殻を破って朱蒙が生まれた。だが金蛙の王子たちは朱蒙を嫌って殺そうとしたので、柳花は南に逃げるように朱蒙に言った。川まで逃げると追っ手が迫ってきた。
朱蒙は川に向かって「自分は天帝の子で河神の孫である。追っ手が迫っているので、なんとかして欲しい」と言った。すると魚や亀が浮き上がって、橋を造った。朱蒙は逃れて高句麗を建国した。
高句麗では広開土王陵碑がよく知られるところだが、私には朱蒙伝承にある高句麗の建国神話の方が心を惹かれる。
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5537 鳩山一郎氏が参拝した「出世明神」と高句麗神話 古沢襄

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