北朝鮮、金正日訪中をはじめて報道。成果は触れず。入れ違いに胡錦涛はモスクワへ出発した。振り返ってみれば奇妙な訪中である。
5月3日に金正日の特別列車は新義州から鴨緑江を渡り、中国遼寧省の丹東に入った。数週間にわたって国境の交通をウォッチしてきた西側マスコミが「それらしい列車が通過」と報じた。
通常なら列車はそのまま北上し、瀋陽へ至り、方向を変えて北京へむかう。この線路はかつて日本時代は安東(丹東)―奉天(瀋陽)間を満鉄の列車が疾駆した幹線である。
ところが金正日は、丹東で鉄道をはなれ、車で高速道路を大連へと向かい、夕方、市内へ入った。高速道路は一般車両が締め出された。
出迎え役の李克強はどこで出迎えたか、大連の何というレストランでもてなしたかは不明。宿泊は大連繁華街のフラマホテル(五つ星の最高級)。
二日かけて複数の企業を見学したことだけは事実で、筆者も三回、この車列に遭遇したことは6日付け小誌にものべた。
5月4日夕刻、大連は一日中交通渋滞。ようやく金の特別列車は大連から瀋陽へ向かい、5日に天津入りが確認された。
天津では濱海工業地区を視察した。ここには日系企業も多く進出している。そして六日に天津から鉄道で北京へ入り、直ちに胡錦涛、温家宝ら首脳と会談。乾杯の写真をみるとフランスワインを飲んでいる。紹興酒でもマオタイ酒でもない。
六者協議復帰に関して突っ込んだ話し合いがあったとか、経済援助と引き替えだったとか、様々な観測があがったが、中味は一切が謎である。
そして五時間、人民大会堂に滞在したが、夜、金正日はふたたび特別列車に乗り、北京から瀋陽へ向かい、この瀋陽で宿泊。翌7日早朝に瀋陽のホテルをでて、鉄道で丹東から北朝鮮へ帰国した。中国国境を離れるや、新華社は簡単に金訪朝の事実だけをつたえた。CCTVは北京を離れるときに金が列車の窓を開けている写真を公開した。
一日おいて、8日午後、ようやく北朝鮮は金正日の中国訪問を報じたのだった。
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5539 奇妙な金正日総書記の訪中 宮崎正弘

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