上海市当局、開発用地を放出し不動産価格抑制へ。トップ達の汚職の源泉を放棄? いきなりの措置に上海、香港株式が暴落。
上海市当局は今週から大規模に開発用地を競売にかける。しかも過去最大の土地の大量供給となり、不動産価格抑制に効果があると見込まれる。
競売方式で市場に供給されるのは一等地ばかり(虹橋、浦東新区など)。しかし2010第一四半期だけでも住宅用地は238万平方メートルも供給されており、前年同期の9倍(『中国証券報』、5月14日)。
これまで共産党幹部らの利権の温床、その源泉であった土地供給という特権を、上海派はあきらめたわけでもないのだろうが、バブル高騰という不測の事態を収拾するには、この手段しかない。そのような経済原理を、ようやく理解できたのだろう。
しかしあまりに大量の土地放出のため上海の不動産市場では消化できず、民間業者が応札を手控える。このため落札価格は最低を記録してきた。
上海市当局の措置は不動産価格の下落傾向にさらに拍車をかけて、庶民は喝采するが、経済界はおそらく悲鳴を挙げるだろう。
このニュースがつたわると香港、上海で株式の下落が始まり、5%前後も株価が続落する事態となった。とくに17日の市場では不動産関連銘柄は値上がり株がゼロ。業界トップの「保利房地産」は7.3%安、「万科企業」が5.3%安のほか、大手不動産関連の20銘柄以上がストップ安を記録するという異常事態となった。
香港、上海に次ぐ深せんでも、「深セン市物業発展」は10%安、「招商局地産」は8.9%安をつけた。同時にギリシア危機によるユーロ安が重なり、欧州輸出関連株などは10%前後の下落を示した。
トナルト。ついに見えてきたか。次のシナリオはギリシア危機どころではない「上海暴落」?
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◎塚本三郎『田中角栄に聞け』(PHP研究所)=田中角栄は「浪花節だよ、人生は!」を地でいった、日本人の琴線に触れた政治家。小鳩政権に比ぶれば、はるかにマシな政治家だった。
元民社党委員長の塚本三郎氏が、なぜ田中角栄を前向きに評価されるのだろう?最初、イメージが合わずに訝しい印象を抱いた。もし春日一幸元委員長なら浪花節的だから納得できるのだが・・・。
読んでみて得心した。塚本氏は議員生活四十二年。民社党書記長、党首として大活躍し、安倍晋太郎、竹下登と同期。時代を共有し、現場の雰囲気を知悉した政治家として、田中角栄に並々ならぬ心情的理解を持っている。哀惜を抱いている。
そのことは本書でも西尾幹二氏の言葉を引用しつつ「田中には愛国心と洞察力があった。オザワには何もない」と代弁させながら対照的に本書の後節は国の大本をないがしろにして媚中外交を展開するオザワ、鳩山批判となっているところでも鮮明である。
また田中失脚のロッキード事件が米国の仕掛けた謀略という田原総一郎あたりが言い出したお粗末な説には明確に疑義を投げかけている。
すなわち「アメリカが田中内閣のエネルギー外交、日中外交の行方を注視していたことは確かである。しかしながら、ここで考えなければならないことは、田中の『独自外交』に対してアメリカ政府がもっていた懸念なり不快感が、上述したようなリスクや、アメリカにとっての田中の利用価値(田中は通産相時代に繊維交渉をまとめ上げたために、アメリカは彼を高く評価していた)を無視してまで田中を潰そうと思わせるものだったのか」(本書152p)。
ロッキードは、貯まりに貯まった外貨を、貿易不均衡のアメリカの不満を交わすためにも一気にアメリカ製の飛行機を買ったまでのこと。むしろ日本の危機をすくったのだ、という論調である。
なにしろ田中角栄を好きだという日本人は夥しい。
かくいう評者(宮崎正弘)も、かれの政治、とくに台湾断交と即物的な取り決め、選挙の遣り方には批判的だが、その波瀾万丈の人生は好きである。
♪「浪花節だよ、人生は」の如くに起伏に富んで、恋も多く、徹底的に田中は人間的であり、感情を抑えることが出来ない。計画的であるように見え、いったん落ち目になるとオールドパーをがぶ飲みし、娘の真紀子からは「恥だ」と詰め寄られ、竹下には裏切られ(ト田中は認識した)、酔うことだけを目的に呑むことを繰り返しているうちに逝去してしまった。
盛者必衰の理を表すように。まだ若き日に異例の出世を遂げた田中は大蔵大臣で石原裕次郎と対談したり、テレビ討論会でも野党相手に活気に満ちた議論の展開に大きな期待が集まった。学生の頃、評者は彼の講演を聴きに行ったことを思い出した。がさつだが、元気な人という印象だった。
やがて福田を破って総理になった。田中全盛のころ、マスコミはよく「今太閤」と持ち上げた。村松剛氏は、「秀吉は学歴はなかったが教養はあった。今太閤とかの、かの御仁は学齢も教養もない」と辛辣に批判した。
評者は単独で田中角栄にインタビューしたことはないが(ライバルの福田赳夫には単独会見をした経験あり)、よく集会やパーティで田中の演説や挨拶、その当意即妙の弁舌の旨さに舌を巻かされたものだった。愛嬌があり、庶民的で、しかもエネルギッシュ。だから庶民から人気があったのも無理からぬ。
しかし田中政権が誕生した瞬間をテレビ中継でみながら、若き日の評者は「これで日本はお終いだ」と大きな声をだし、周囲から意外な顔をされたことを鮮明に記憶している。
田中角栄がこしらえた政治は自民党の綱領を無視し、たんに官僚政治を打破し、権力を政治家に取り戻したことが基軸とされるが、彼の列島改造ヴィジョンは官僚がこしらえたのであり、目的税も新幹線も彼の独創性からは生まれず、ましてや改憲を忘れ、防衛の本義を避け、大局的国家観に立脚したものでもない。そもそも田中は学者・文化人を周囲に寄せ付けず、教養人を馬鹿にしていた。
かれにとってもっとも愛すべきは権力であり、田中はカネを集金して票にかえ、官僚のなかから立候補を勧め、自派を扶植して強大な『田中軍団』を形成し、そのためにあらゆる選挙区のデータが頭のなかにインプットされていた。だから「コンピュータ付きブルドーザ」という異名を取ったが、あまりにも短絡的な選挙目的、集票マシンであり、オザワが模倣しているのは田中型の「選挙モデル」である。
田中は官僚や地方政治家から候補者をピックアップしたが、オザワは鞠投げの選手やタレントや歌うたいから拾っているだけが異なるが・・・。
ともかく日本の政治を国家観なき政策実現の場に変え、国体を忘れ、ただひたすら多数派を握ることで権力を実現し、秀吉型に酷似するリーダーシップを確立するに至ったわけだから、他方に於いて日本政治の理想は霞み、産業構造的な活性化は土建業中心となり、利権構造的政治が日本を徹底的に駄目にした。
道徳も防衛力も愛国心も、いつしか日本人は忘れたが、その元凶をかたちつくったひとりは間違いなく田中角栄であろう。
政治に活力が失われ、その場の政局を乗りきることだけが政治となるのは、彼のあと、棚ぼたの三木からであり、番頭や代貸しや、弁舌屋やコメディアンごときが首相となるに及んで、この国から夢も奪われてしまった。ニーチェが書き残した。「君たちが理想的な物事をみている同じ場所に、私はーー人間的なもの、ああ、あまりに人間的なものを目にするばかりだ」(『この人を見よ』、西尾幹二訳)。
日本を蔽う果てしなきニヒリズムの源流は田中ではなかったのか、とつくづく考えながら本書を読み終えて、しかし塚本氏の同時代的な視座からの田中評には爽快感が残った。
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5591 角栄を好きだという日本人は夥しい 宮崎正弘

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