天明六年 丙午(ヒノエウマ・・・1786年の記録)
①米をはじめとする作物は出来が悪く、下の下作。稲は青絶ち(生気がなく枯れそうになっている)。毛見役が来て作柄視察・検査し上納した。御代官本宿弥惣右エ門、坂牛吉右エ門。
②この年米一升(1.5㎏)が七十文(1文30円とすれば2.100円。1文50円とすれば3.500円)。秋田から来た米は一升、八十文(2.400円から4.000円)という高値であったので人々は困窮を極めた。
③このような現状を見届け検分されたのは七之戸安右エ門、上野甚右エ門であった。
④「草井沢本」【正月1日 日蝕皆かける(皆既日蝕)。6月16日月蝕 9分かける。11月15日月蝕。10月閏月があった。
◎1月6日朝8時、8日の晩地震があった。昨年末から1月にかけて疱瘡(天然痘)が流行した。年内寒(旧暦では、新年になる前に寒があることもあった・年内立春もある)の内、雪が降らなかった。湿気があって温みがあった。新年になり正月節(松の内と思われる)7日の晩に雨が少し降り、それから大雪になった。正月中寒気が被い、大雪が降った。
◎2月6日の晩、赤い砂土(黄砂と思われる)が降った。この日の朝には地震もあった。
◎3月1日、2日雨降る。2日午後4時大地震、6、7回強くゆれる。夜になっても3、4回ゆれる。11日昼より「どんどんとなる。」(ドンドンと音がしたということか、地震がどんどん続いたということか。意味不明)3月16日晩赤い砂土(黄砂)降る。
◎4月1日朝、雷があり大雨降り、大水出る。9日に風雪あり寒かった。4月12日晩種まきする(稲)、雨が降り寒かった。13日雷があり、雪降り大風が吹き苗代に木の葉が落ち入った。人々はその対応に難儀した。14日山々には「雪こぎ雪」(掻き分けなければ進めないほどの雪)が降った。(30cmから50cm位の積雪か)山より少なかったが家の前にも雪が降った。15日には雪花(粉雪のことか、水分の少ない軽い雪)が散り、寒かった。16日朝地震があった。
◎5月26日七右エ門田植え。28日、29日田植え。
◎6月1日に家の前田が植え終わった。2日は本屋敷の田植えが終わった。この日から東風(春から初夏にかけ北東から吹く風・「やませ」三陸から青森、秋田、山形の主として海岸地方に吹く冷たい風・霧や小雨を伴い、しばしば冷害の原因となる)あり、時々雨降る。
◎7月10日朝 地震があった。雷雨あり、水出る。11日朝 地震があった。12日雷雨あり、水出る。東風が吹き、寒かった。14日大雨、大水となる。15日、16日雨降り、東風のためことのほか寒かった。19日雷雨、雨強く降る。大水出る。20日雷雨あり、水出る。
◎8月3日晩 雨降り、水出る。地震あり2回ゆれる。
◎9月も地震、2回ゆれる。29日から30日に家の前まで雪白く降る。山々の雪は「こぎ雪」(足で掻き分けて進む程の積雪・膝ぐらいまで積もった雪)となる。
◎11月3日、4日と雪降る。根雪になる。12日より16日まで雪降り続き、寒く天気は悪かった。17日より「おより過ぎ」(浄土真宗では毎年報恩講を行う。お寺で行う講と地区で行う講があり、地区ごとに行う講を「およりこう」という。ここではお寺で行う報恩講で旧暦11月28日と思われる)まで天気は良かった。
◎12月2日雪少し降る。4日雨雪が降る。
◎一年のまとめとして、・正月より12月まで時々地震があった。
・春より秋まで川の水量は多かった。鮎、夏に遡上する鱒、秋の鱒も遡上しなかった。
・夏中、水は冷え、温まらなかった。
・梨、スモモ、栗の実は生らなかった。
・田畑共に稔らず大不作になった。この年雪が一日に2,3尺(約1m)降り田は収穫無しとなった。
天明七年 丁未(ヒノトヒツジ・・・1787年の記録)
①米、農作物の出来具合は上々の作柄であった。田畑共に作柄検査の御毛見の役人が来た。御代官 野々村七右エ門、坂牛吉右エ門
②御買上米高一石(150kg)につき九升(13.5㎏)の課税があった。大豆一升二十文(600円から1.000円)小豆は豊作で一升十文(300円から500円)。
③この年米の収穫高一石につき小豆四升三合あてお蔵に納め、雫石の南畑まで背負って納めた。年貢は米だけではなく小豆も納入の穀物であったということが分かる。ただし、米の不足分に代わる小豆の納入であったかどうかは分からない。小豆の年貢ははじめて見る記録である。
④去る天明五年に船の帆柱にするため伐って置いた杉材を川出し(筏にくんで川で運ぶ)する。和賀川から北上川を通り仙台石巻まで六本届けた。
⑤天明五年、六年と凶作が続いたため人民は極度に困窮する。六七月は米一升(1.5㎏)の値段が八十五文(2.550円から4.250円)もした。この時代、全国的な銭不足になっていたと思われる。各藩では盛んに鋳銭座が造られている。
⑥盛岡茂兵衛という山師が来て、左草の沼の沢に三月から七月にかけて鋳銭座を造り、銭を鋳造した。ほど(焙土・砂鉄を溶かす炉)を六ケ所設け、表師(おもてし・銭を鋳る専門の職名と思われる。型枠に砂を入れ種銭=もとにする銭=を並べ、砂を踏み固めて鋳型の上下半面=銭の裏、表=造る専門の職人と思われる)、上形(銭の表)下形(銭の裏)等の職種がある。小僧杯(どのような職種なのか不明)という役職もある。
職人や人足等を合わせると二百人が働いている。この鋳銭座の取り締まり検査のため、役人が度々お出でになった。そのための費用(原文では「掛かり物」と表記)沢内中に四百貫余り(1貫は1.000文。=3万円から5万円。)割り当てられた。役人の出張旅費は出張先の負担ということになる。出張先の人々のためになる出張であれば肯きようもあるが、どうであろうか。1.200万円から2.000万円はいずれ、たいへんな額である。
現在では羨ましく思うほどの大工場である。「岩手における鋳銭」ー沢井敬一編ーという資料によると湯田、沢内には隠し銭座が多かったことが分かる。識者によると、西和賀の沢には砂鉄が多く、採取し易かったこと。木炭も出来易かったこと。隠れ易かったこと。等の条件や環境が適していたからだろうということであった。なお、銭座についての記録は「巣郷本」「白木野本」にあり「下巾本」「草井沢本」にはない。
⑦「草井沢本」
◎5月15日 月蝕 皆隠れる。11月15日 月蝕 七分隠れる。
◎正月3日まで天気良し。4日より16日まで雪降り、風も吹き、天気は悪かった。17日は雨が降り、18日には大水がでた。川の渡し舟の留め綱が切れる。これ以降の1月は雪降らず、天気は良かった。
◎2月3日午後8時から10時まで地震。2回ゆれる。4日朝10時地震、雨降る。5日雪降る。9日まで天気は悪かった。10日、11日、12日天気良し。13日雨降り、大水出る。14日大吹雪になる。19日晩大雨降る。20日に大水出る。21日、22日大風吹き、大吹雪となる。23日天気良し。
◎3月22日朝種(米)蒔く。24日より雨降る。風も強く桜の花、こぶしの花皆吹き落とす。25日雨降り、大風吹く。
◎4月3日 雷雨となる。6日雨は降らなかったが風が吹き続けた。12日雷雨あり、風吹き寒かった(「やませ」と思われる)。13日雨降る。15日、16日天気良し。
◎5月2日 地震があった。4日より田植え始める。5日休む。6日に家の前田を植え上げ、7日には植え終わる。
◎6月6日昼より雷と共に大雨降り大水出る。時々東風(やませ)吹く。25日朝雷、大雨降る。
◎7月6日西風吹き天気は上々良し。7日、8日、9日まで天気良し。10日11日東風強く吹く。大雨降り、大水出る。15日雷雨、大水出る。16日17日は上々の天気であった。16日早稲の稲刈りをした。米にして、仏様にお供えした。
◎8月24日の晩午後8時大地震があった。
◎9月3日4日頃、まわりの高山に雪が降った。19日には3寸(約10cm)ばかり積もり、3度も降った。22日には村里に初雪が降った。28日も雪が降った。
◎10月15日晩風吹き、雷が鳴る。16日朝雪降る。この雪は根雪となった。
◎11月冬至前より冬至過ぎまで大雪が降った。川々は氷が一面に張った。漬物、飯も凍った。
◎12月3日大雨降り、大水でる。川の氷は一度に融け流された。9日朝地震あり、それから雪は半日降り続く。14日朝雨雪降る。16日は天気良し。それから25日まで風雪強く、寒く悪い天気であった。26日は良かったが、年内中悪天候であった。
◎この年のまとめ・年貢割合は安永四年(1775)の割合で課せられた。利助穫れ高の15%、七右エ門も同じ15%。長八は14%。畑作(陸稲)は10%。
・入石(他領から買い入れた米)は、肝入(村長)が取り扱い、1升(1.5㎏)が50文(1.500円から2.500円)の値であった。
・御買上米は500駄(1駄は7斗。105㎏)割り当てられた。(沢内全体で)
・この年の作柄は上々の豊作であった。
天明八年 戊申(ツチノエサル・・・1788年の記録)
この年「巣郷本」の記録なし。
①田畑の作物の出来具合は中作。平年並みの出来具合であった。年貢割合は安永四年(1775)の割合より一歩安くなった。御代官 坂牛吉右エ門、野々村七右エ門。
②御買上米高一石につき九升九合の税が課せられた。
③改元があって「寛政」となった。
④「草井沢本」
◎5月1日 日蝕 2,3分ばかり欠け、場所によっては見えないこともあったかも知れない。作柄は中の上であった。畑の出来は悪かった。5月15日月蝕、二分ばかり欠けた。稲も実も良し。早くに霜降り、豆の実がしまつた。
◎正月1日 天気悪し。6日まで少々雪降り、風吹き、寒気が来て天気は悪かった。 16日まで大風吹き荒れ、寒気があった。それより川面に氷が張った。22日に雨が降り、川面の氷は一度に離れ流された。正月中、風吹き悪天候であった。
◎2月1日大風吹き、雨ふり天候悪し。2日寒露(露霜)降る。
◎3月3日、11日、12日大風吹き寒かった。19日雷雨少々降る。3月中天候悪し。
◎4月3日種蒔きする。
◎5月5日朝 寒露降る。15日16日田植え、家の前田植え終わる。17日、19日、27日雷雨降る。
◎6月14日、15日寒し。18日雷、19日、20日雨降り、風吹き寒し。21日雷強く鳴り雨降る。東風(やませ)吹き、寒い日であった。
◎7月3日、4日雷。7日東風、雷雨降る。18日19日20日雨降り、風吹き寒し。24日朝雨少し降り、西風が吹き暖かくなった。26日東風吹く。29日まで天気良し。
◎8月1日朝10時地震があった。8月中、全日雨降る。
◎9月12日岳だけ(高山)に雪降る。16日朝、村里に雪白く降る。27日雨降り、寒かった。
岳だけに雪降る。9月中天気悪し。
◎10月1日天気良し。2日高山に雪降る。5日は里まで雪降る。23日夜明けに雷し、大雨降り、洪水となる。橋が流れ落ちた。10月中雨降り、悪天候であった。
◎11月1日雪1尺(約33.3cm)積もる。3日4日雨降る。5日より雪少しずつ降る。25日晩6時地震。北の方よりドンドンと音する。11月中天気悪し。
◎年貢割合は去年より1歩安くなった。利助14%、七右エ門14%、長八13%1石につき3升3合5勺は役料(役目に対する報酬か)。3合7勺は御常時手伝米(重要な役人の側近として奉仕する役目の人にたいする報酬か)。1家並み(1戸あたり)5合は目明し(犯罪、安全見回り役の報酬か。)
◎1石(150kg)につき980文(29.400円から49.000円)は、総収穫高の賦課割合であり、沢内代官所が課した税である。(原文には「内郷役銭」とある)
◎高1石につき9升9合3勺の割りで御買上米沢内中に500駄割り当てられた。御値段は1駄(1駄7斗として、105㎏)1貫500文(45.000円から75.000円ほど)
◎入石(他領から買い入れた米)は、1升(1.5㎏)につき30文(900円から1.500円)杉林長作に入り、取り扱っている。天明8年11月23日。
古沢襄追記
奥州大飢饉といわれた天明の大飢饉の様は「沢内年代記」で淡々と記録されている。沢内・古沢家の中興の祖となった古沢屋善蔵は天明2年に生まれた。その4年後の天明6年に梅顔妙香禅尼が死去。名前や生年は不詳だが、戒名は春の梅の香りを思わせる艶やかものである。
この戒名をつけた菩提寺の獅山大哮大和尚(第12世)は7月18日に入寂(死去)した。古沢屋善蔵が「沢内年代記」の白木野本に登場するのは天保2年(1831)まで待たねばならない。49年後のことになる。「古沢屋善蔵殿、加藤荘平殿右御両人ニ而御城下江御引上・・・」とあるが、前後の文脈から高橋繁氏に判読して頂こうと思っている。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト
5609 「沢内年代記」を読み解く(十五) 高橋繁

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