すでに批判の域を超えている。東久邇稔彦から数えて、戦後31人の首相のうち、鳩山由紀夫はもっとも悪(あ)しざまに言われる首相になった。
「ここまで迷妄に満ちた言動で国益を損なったからには、君は万死に値する。サムライ時代なら切腹もの、幕末なら天誅(てんちゅう)が下っていた」
と一刀両断したのは、たちあがれ日本の平沼赳夫代表だ。天誅とはまた古い言葉が飛び出したが、天にかわって罰することである。
一連の鳩山発言のなかでも、普天間飛行場移設問題をめぐる朝令暮改は、批判を怒りに転化させた、という印象だ。鳩山攻撃の矢玉が、次第に極限に近づいている。こんな現象は、戦後政治史のなかでもめずらしく、危うい。
そして、とうとう作家の芥川龍之介(1892~1927)まで登場する。当コラムでもおなじみの<いぶきの国会レポート>最新号で、自民党の伊吹文明元幹事長がこう書いた。
<普天間をめぐる鳩山首相の外交・軍事の知識、首相を擁護する民主党政治家の姿勢は誠に軽い。作家、芥川龍之介は、「政治家が大義の仮面を一度用いたが最後、永久にそれから脱することはできない」と警世の言を。総選挙の際、「基地は沖縄県外」と述べた鳩山首相も、バラマキ公約で勝利した民主党議員も、票のためのその場限りの仮面から脱せられず、日本は大混乱している>
大義の仮面、とは痛烈である。少し補足すると、芥川の著作「侏儒(しゅじゅ)の言葉」(角川文庫)の一節で、前段に、
<民衆は大義を信ずる。が、政治的天才は常に大義そのものには一文の銭をも抛(なげう)たない。ただ民衆を支配するためには大義の仮面を用いなければならぬ。しかし、……>
とあって伊吹引用が挟まり、さらに、
<もし、また強いて脱そうとすれば、いかなる政治的天才もたちまち非命に仆(たお)れるほかはない>と続く。作家の鋭い指導者論である。
鳩山の断固とした「最低、県外」発言を大義とみて、沖縄県民も国民も信じた。鳩山も、できればそうしたいと単純に願ったのだろう。
しかし、裏打ちのない願望でしかなく、多分にポピュリズム的だったことがわかってくる。つまり、仮面がばれた。
仮面が悪いのではなく、仮面をかぶり続けることができれば、指導者の命脈は保たれる。いつの日か<県外>が実現する日がくるかもしれない。
鳩山にとって、仮面と悟られたのが最悪だった。しかし、<一度用いたが最後、永久に脱することはできない>という芥川の言葉の深い意味を、鳩山は理解できない。
露見すれば、仮面をはずせばすむ、と考えたらしい。4日訪れた沖縄で、鳩山は、「学べば学ぶにつれて……」と信じがたい言い回しを使いながら、米軍海兵隊の県内駐留を必要とする抑止力の認識修正を述べた。耳を疑った人が多い。さすがに気がとがめたのか、
「(認識が)浅かったと言われればそうかもしれない」と自らの浅学非才も認めたのである。
鳩山は狡知(こうち)の人とは思わない。しかし、大衆を甘く見、最高指導者の言責に対する自覚が足りない。これ以上、首相の権威を低からしめるのは耐えがたい、と多くの国民が心を痛めている。
芥川が<たちまち非命に仆れるほかはない>と書いた、その時である。やむをえない。鳩山が辞めれば、鳩山が任命した小沢一郎幹事長ら執行部も総退陣になるのがまずい、という声も聞くが、民主党の党内問題だ。国民問題ではない。(敬称略)
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