5724 政治評論家と政治学者 渡部亮次郎

<「頂門の一針」 1941号 2010(平成22)年6月7日(月)「小沢は身を引く時だ:岩見隆夫」の【長年、民主党の助言者である山口二郎北海道大教授が、民放テレビで、「小沢権力は幹事長を辞めれば、かき氷みたいに消えていく。お金の力も、(候補者の)公認権もポストについているからだ」と語るのを聞いて、驚いた。】には全く同感です。
「小沢はそんなヤワな政治家ではない。」山口教授はあまりにも小沢氏を理解できていない。この程度の人間が、マスコミで識者面して発言していることを嘆かわしく思います。(N・H)>
私のメルマガ「頂門の一針」への投書である。かつて防衛庁時代に要職にあった方である。当時の役人は政治家をよく観察していたから時代認識もまた確立していた。政局すら見通していた。
政治記者古手の政治評論家は政治家各人と政治の現場を承知している。過去、現在を熟知しているから、若干の見通しは予見できる。
小沢一郎が幹事長でなくなれば、その権力はかき氷みたいに消えてゆくなんてことは書かないし、言わない。そんなやわな政治家じゃないことをよく知っているからである。
これに対して政治学者は政治の現場に立ち会ったことが無く、入手する情報はマスコミを通じた、いわば二次情報でしかない。政治家の権力はそのポストによる、と言う一般的な認識しかないから「ポストを失った小澤はかき氷などという「冗談」が言える。
40代にして自民党幹事長になり、その4年後に離党し、細川政権を樹立したり、政党を幾つも作っては捨ててきた。毀誉褒貶のなかで体質はいまや如何なる泥水にも耐えられる幸甚なものになっている。かき氷であるわけが無い。海に千年、山に千年棲んだ化け物「海千山千」。この先、何するか分かったもんじゃない。
政治記者も政治評論家も政治的な情報を常に新しくしていないとテレビや雑誌から注文が来なくなってメシの食い上げになる。だから私の若いころは、政治家とマンツーマンで酒食をともにしながらしか取材しなかった。
政治家は嘘を吐くのが商売みたいなもの。電話の先では舌を出しても見えない。顔を青ざめても分からない。だから電話取材は絶対しなかった。
1対1で面と向かえば嘘吐きは見破れるし、酒がはいれば油断もするから真実に近づける。これは後にNHK会長になる島 桂次(故人)に厳しく教えられたことである。「記者会見は嘘吐き大会。何処の馬の骨か分からん奴らの前で本心を吐露する政治家のいるわけが無い」。
対するに政治学者は個々の政治家に深入りしていたのでは、政治の流れを歴史的に分析したり、検証したりする時間がなくなるから、つい政局の分析が甘くなったり間違ったりする。大学からの報酬に影響しない。山口教授の発言は稀代の失言として記憶されるだろう。
それだから政局分析に政治学者をテレビ局が起用するのは「ミスキャスト」になりがちだから、避けたほうがいいし、見ないほうが正解だ。
まして記者経験も学者経験も無い雑誌編集長は政治評論家の無資格者であるから、分析は出来ても見通しは当らないから消えて行くしかない。
私は政治取材などに若干の経験があるから、以上のことを書いたが、政治の現場を離れて30年にもなるから、政治評論は絶対しない。出来ない。政界の歴史は多少語れるだけだ。政治評論を古澤襄さんら情報通に頼る所以である。(敬称略)
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