5759 ハトと同じ表現「私を信じて下さい」 前田正晶

民主党というか菅直人一派が、さもしくも支持率が高い間に選挙に持っていこうと、会期延長をしないと決めたのはそれなりに良く解る。亀井前大臣が前時代的に「公党間の約束事だから菅総理が違えることはない」と言い続けたのも、郵便局長会の何十万だかの票の確保のためと解説されれば、そうかなと納得する。
それだけのために一晩かける国費の無駄遣いをするかと思えば、連立離脱だのと福島瑞穂ばりの恫喝めいたことを続けた国民新党の感覚は凄いと、呆れる前に感心する。亀井前大臣を老獪だと褒める向きもあったが、小泉内閣に対する私怨の延長のようなことをするために73歳だったかになるまで、時代遅れの「政治」を展開しただけとしか私には見えない。
しかも、都市部に住んでいる私は愚鈍にして、郵政民営化が何故それほど悪いのかを、亀井前大臣が喚き立てるほどに理解し得ない。表現を変えれば、都市部に住む多くの人々が郵便局員と親密になって、その民営化の悪影響を感じることは難しいのではと思うのだが。
亀井大臣は「郵便局がなくなって困っている人たちのため」と主張するが、この辺りでは民営化が言われ始めた頃から、郵便局員のお客扱いが旧S銀行も及ばないほど丁寧に、慇懃無礼的になってきてそれだけでも効果があったとすら感じていた。
故に、私は郵政民営化改悪法案は何か遠いところで騒がれている問題のように感じられ、彼や平沼赳夫氏の自民党脱藩の行動に困惑を感じていた鈍感さだったのである。
ということは、亀井氏も平沼氏も彼らの支持者のために反小泉の立場を取り、未だにそれを貫いている信念の人たちなのであろうと理解しようとしている。直接自分の日常生活に影響しないことが、それほど大きな政争の具になっていることを理解できないことを恥じるべきかと悩んでいる。
亀井氏は法案を成立できなかったことの責任を取って大臣を辞任した。責任の先にあったのが票田である局長会というのならば、彼が何と言おうと選挙対策としか思えないのだ。この解釈は誤りなのだろうか。私は十把一絡げにするなと批判する方がおられた「国民の皆様」の心が解っていないのだろうか。
「私を信じて下さい」:と菅総理が言っちゃった。
あるいは「信頼して下さい」と言ったのかも知れない。11日の午後、菅新総理の所信表明演説を聴いた。鳩山前総理の時と少し異なって嵐のような拍手もなく、応援のかけ声も少なかった。彼の語り口は野党時代の勝ち誇ったかの如くに揚げ足を取っている時の勢いはなかった。
その内容は財政再建等から拉致問題まで、聞き耳を立てるような新機軸も奇策もなく淡々と進んだ。ところが、終わりに近くなって驚きがあった。彼は鳩山前総理と同じ表現を日本語で言ったのだった。「私を信じて下さい」
鳩山前総理がオバマ大統領に向かって使ったと言われている”trust me”は駄目だ。
「“trust me”は米国でも長い間に屡々用いられている表現である。率直に言えば怪しい言葉だ。私は自分が語ろうとする事実や論理に確信がない者が、“私を信じて下さい”と言って何とか解って貰おうとしているのだ。
だから、そういう表現を使う者が言うことを信じない方が良い。だが、そうかと言って、何時もそう疑ってかからなくとも良い。すなわち、親しい友人の間に限られる。
これでは菅総理は折角の「演説の内容には自信が御座いませんが、何卒信じて下さい」と言ったのと同じになってしまう。「内閣総理大臣ともあろう者が『信じて下さい』と言うような確固たる信念がないことを言うな」。
思うに、彼には経済・財政問題にも、沖縄の基地問題にも、拉致家族の取り返しにも「成し遂げる」と言いきれる次元にはないのだと見た。
だが、何分にも総理になって、前任者と交代して間もないのだから、鷹揚に構えて職務を大過なく全うしてくれ。
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