波乱、多難の船出である。新政権の最初の支持率は66%(毎日新聞調査)と高い数字を示したが、菅直人新首相の個人人気によるものではない。
高支持率の理由は、民主党が政治資金疑惑の実力者、小沢一郎前幹事長を切り離す決断をし、改めてクリーン宣言したことによる世間の安堵(あんど)感が一つ。とにかく、民主党政権に全力投球してもらうしか、当面の選択肢はないという切なる願いがもう一つ。
願いは期待感とイコールではない。政権発足からの約9カ月は、単純に期待を寄せることができる足取りではなかった。不安と幻滅のほうがはるかに大きい。
だが、菅新政権には鳩山前政権のような短命の轍(てつ)を踏んでもらっては困るのだ。だれが困るのか。国が困る。国がなめられる。国民が困る。国民が誇りを失う。
なんとしても、短命政権の悪癖を返上してもらいたい。この10年だけ振り返っても、小渕恵三から菅まで8人の首相が入れ替わった。宮沢喜一元首相が、かつて、
「日本の首相は生産過剰でして……」
とジョークを飛ばしたことがあったが、そんなのんきなことを言っている時ではない。オバマ米大統領は就任1年半で、3人目の日本の首相と巡り合うのである。信頼関係を育てるいとまもない。
自民党リーダーの何人かが、菅政権を、「左翼政権だ」と性格づけたそうだ。なつかしい言葉だが、ピントがはずれている。旧左翼が苦笑するだろう。民主、自民両党の土俵は相当部分重なっている。もっと高度で厳密な理念論争をしないと、両党とも性格がぼやけ、短命にもつながる。菅は、
「左翼ではない。なぜならば……」と逆襲するチャンスではないか。
菅が首相としての適性を持ち合わせているかどうかは、まだわからない。このポストばかりは、座ってもらわないと、適・不適の判断ができないからだ。昨年10月、伸子夫人(当時、菅は副総理兼国家戦略担当相)と「サンデー毎日」誌上で対談した折、菅首相実現の可能性は何%と思うか、と問うと、夫人は、
「私がなってほしくないのでゼロです(笑い)。組織の中でトップは全体に信頼感を与え、二番手は仕事をバリバリ進める役割がある。菅はトップ向きではない。それに、鳩山政権は4年は続かせないとだめです」
と答えた。首相を補佐する立場の時だから、こんな言い方しかできなかったのかもしれないが、トップ向きでない、という批評は夫人だけではない。だが、向き、不向きを決めるのも早すぎる。
鳩山由紀夫前首相は言葉でしくじった。この轍も踏んでほしくない。失言、放言を避けるだけでなく、言葉遣いも大切である。
老婆心ながら、菅が多用する用語の中で、気になるのは、次のようなものだ。まず、「まさに……」という強調語。野党の論客として攻撃にはずみをつける時はいいが、首相としてはいかがか。野党の名残を思わせる。次に、
「ある意味で……」というあいまい語。首相の信念に疑念が生じる瞬間だ。逃げ道を作られたようで、耳ざわりである。また、
「一定の……」という、かつて革新陣営、労働・市民運動家がよく使った修飾語。アカがついている。首相らしく言い換えたほうがいい。
草の根、奇兵隊、最小不幸。菅首相の信条だから異をはさむつもりはないが、ただ、いずれも国家経営のスケールを感じさせない。(敬称略)
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5772 短命だけは、もういい 岩見隆夫

コメント
シンガンスの件もあるが、日本の国歌・国旗を否定する人物は信用できない。