菅直人首相とその側近たちのやり方は、今回の民主党内で根回しをしないまま持ち出した消費税率上げを見ても、けっこう「民主集中制」的な手法をとるなあと感じています。民主的手続きを経ていったんリーダーを選んだ以上、そのリーダーにとにかく従えという雰囲気が漂っています。
小沢一郎幹事長も、「日本改造計画」を著した当時からそういう主張をしていましたが、小沢氏の場合は民主集中制に似せた「封建制」だったのではないかと、先輩記者が言っていました。なるほどねえ、と感じた次第です。
で、そうした体質は菅執行部ではある程度、共通しているのだろうなと改めて思ったのが、以下の民主党幹事長室が所属議員に発出した文書についてです。「テレビに出るには党の審査と許可が必要」というもので、けっこう徹底したやり方を好むのだな、この人たちはと感じ入りました。
《君主は前述のよい気質を、なにからなにまで現実にそなえている必要はない。しかし、そなえているように見せることが大切である。いや大胆にこう言ってしまおう。こうしたりっぱな気質をそなえていて、後生大事に守っていくというのは有害だ。そなえているように思わせること、それが有益なのだ》(マキアヴェリ「君主論」)
鳩山前首相が辞任を表明した翌3日の朝刊では、日経の1面コラム「春秋」と毎日の1面コラム「余録」がそれぞれ、マキャベリの「君主論」を引用して鳩山政権について論じていました。さらに、同日の毎日夕刊に掲載された成田憲彦・駿河台大学学長(細川護煕首相の秘書官)のコメントにもマキャベリが出てきました。これだけ一人の思想家が引っ張り出されることは異例だろうと思います。
どうしてそうなったのか。私は、たぶん、鳩山氏がマキャベリの指摘するところの最もダメな「軽蔑される君主」そのものだったからだろうと感じました。マキャベリは「軽蔑されるのは、君主が気が変わりやすく、軽薄で、女性的で、臆病で、決断力がないとみられるからである」と書いています。
一方、スーパーリアリストの菅氏は、鳩山内閣で副総理を務めながら、密かに政権の座についたら、鳩山氏の間逆を行こうと決めていたのではないかという気がします。一部で反発を買おうと、とにかく果断に振る舞おうと。自分の「思い」を国民は分かってくれるはずだと夢想した鳩山氏とは違い、とにかく目くらましでも欺瞞でも独裁的でも、演出を凝らしていこうと。その方が結局、政権は長持ちするものだと考えたのかもしれません。
…まあ、菅政権は発足したばかりなので、この先のことはどうなるか分かりませんし、今はそう感じているというだけですが。
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5797 菅執行部もけっこう「民主集中制」だと感じた民主党文書 阿比留瑠比
阿比留瑠比
コメント
「テレビに出るには党の審査と許可が必要」に関しては民主集中性というより、テレビに出るとあきれられる議員、はき違えている人、政策の論点が何もわかっていない人が多いからだと思います。郵政選挙で自民党が衆議院で大勝した時に、新人議員の言動が報じられましたが、もう10カ月もたつのに、彼らは選挙の応援の写真にしか出てきません。