気がついてみたら、世の中、会話を楽しむ気風が薄れている。ギスギス社会などと言われるが、ほんわかした談笑の機会が減ったことも響いているのではないか。
メールや最近はやりのツイッターの効用、面白さもわかる。口では言いにくいことが文字で表現できたりして、新しいコミュニケーションの世界が広がっているからだ。しかし、それはそれとして、肉声のやりとりが乏しくなるのは非常に気になる。
こんな話がある─。
東大紛争が始まる三年くらい前というから、一九六五年ごろだ。『文藝春秋』誌の駆け出し編集者Oさんが、編集長から、
「君、丸山さんに何でもいいから原稿をお願いしてくれないか」
と命じられる。当時、東大法学部の著名な教授、丸山眞男さん(一九一四─一九九六)だ。名著『現代政治の思想と行動』を世に問うたばかりで、学問を志すもののバイブルのような存在だった。政治学と無縁の学生の本棚にも、大抵あった。
Oさんはさっそく原稿依頼の手紙を書いたが返事がない。二回目の手紙は〈巻頭随筆五枚(四百字詰め原稿用紙)、テーマ自由〉とした。これで顔見知りになってから、少し長い原稿を頼もう、という心づもりだった。返事を待たずに、お目にかかりたい、と電話すると、
「いいでしょう」ということになった。東大の研究室を訪ねる。しばらく雑談したあとで、丸山さんは、「君は『暖流』という映画を見たことはありますか」と、突然、映画を話題にした。
「いいえ、見ておりません」
Oさんがあとで調べてみると、「暖流」は戦前の一九三九年、吉村公三郎監督、佐分利信、高峰三枝子、水戸光子主演で作られている。
丸山さんは続けた。「この映画の中で、主人公の佐分利信が洒落たいいセリフを口にしたんです。若い医者役の佐分利は、二人の女性から好意を持たれている。一人は院長の娘でお嬢様育ちの知的な女性、もう一人は貧しい庶民的な娘なんです。お嬢さんは教養が邪魔して、好きだと率直に言えない。一方の娘はもう体当たりあるのみの積極的な可愛い娘です。
結局、佐分利はこの娘と結婚することになった。決まったあとで、お嬢さんは『本当は私もあなたが好きでした』と遅すぎた告白をしました。その時の佐分利の返事がいいんですよ。『いや、これでいいんだ。彼女は私がいなければ生きていけない。あなたは私なしで生きていける人です』と。よし、私も結婚する時はこの手で行こう、と思いましたね」
丸山さんはそう言って、パイプを吸い、青い煙を吐き出した。Oさんは怪訝な顔をして丸山さんを見つめるしかなかった。
「今日もね、これですよ」「えっ?」「文藝春秋は、私なしでもやっていける、私を必要としないんですよ」と言うと、丸山さんは実にうれしそうに笑った─。
◇事前の準備あってこそ楽しくコクある話芸に
さて、Oさんはスポーツ誌『ナンバー』の初代編集長、『文藝春秋』編集長などを歴任した岡崎満義さんだ。大学時代、一緒に新聞づくりをした旧知の仲間である。先日、岡崎さんは『人と出会う─一九六〇~八〇年代、一編集者の印象記』(岩波書店刊)を出版、三十八人の学者、作家、芸術家、アスリートたちとのかつての触れ合いを綴っている。
丸山さんへの執筆依頼に失敗したエピソードは、その冒頭の一文だ。〈頭脳労働者の話芸〉と題がついている。〈原稿を断わるにも、芸というものはあるんだなあ、と、帰る道々、私は考えたのだった。〉と岡崎さんは結んでいた。
あとは私の勝手な想像である。丸山さんは最初から大衆的な雑誌に原稿を書くつもりはなかったに違いない。それなら電話を受けた時に断ればすむものを、なぜそうしなかったのか。
無駄足になるのを承知で編集者の来訪を受け入れた理由がわかりにくい。多分、丸山さんは佐分利のセリフを相当気に入っていて(私にはさほど素敵なセリフとも思えないのだが、そこは人さまざまだから)、いつかどこかで会話の中に使いたいと、かねがね機をうかがっていた。
しかし、このセリフ、使い方がむずかしい。岡崎さんから電話が掛かった時、チャンス到来とひらめいたのではなかろうか。そして、うまくいった。半世紀近くもたって、岡崎さんが活字にするほど強い印象を残したのだから。
私も何度か丸山さんにお会いしたことがある。天下に名が轟いた碩学だから物静かで寡黙な方と思いがちだが、どうして、話好きだった。週刊誌などにも目を通しているとみえて、下世話な話もくわしく、話しだしたら止まらないところがあった。こよなく座談を楽しむ。そのゆとりが歴史に残る学問的業績につながったのではなかろうか。
岡崎さんが〈話芸〉と言っているように、丸山さんの話はいつうかがっても、含蓄があり面白かった。面白い、ということが肝心である。即興で面白い話ができる天才的な話術の持ち主もたまにはいるが、もちろん稀だ。
以前、私がTBS系列の『時事放談』という政治番組の司会をした時の経験だが、多くのゲストのなかで、しゃべることを前もってメモにしてスタジオに持参するのは長老の中曽根康弘元首相と後藤田正晴元副総理だった。お二人の話はいつも面白いだけでなく、深みがあった。
ところが、お二人より後の世代のゲストたちは即興でこなす人がほとんどで、深い話になりにくかった。会話にしろ、座談にしろ、何を話すか前もって思いをめぐらせるのが大事である。即興だけでなく、準備があってはじめて、楽しくコクのあるやりとりが実現するのだ。
テレビとケイタイの時代になって、話が刹那的で軽薄に流れているのが気になる。じっくり話す気風を取り戻したい。(サンデー毎日)
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5821 丸山眞男さんが原稿を断った話 岩見隆夫

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