5830 再び、言葉尻をとらえて感動したいなあと願う 阿比留瑠比

いやあ暑いですねえ。梅雨時ですから仕方がありませんが、じめじめと湿度も高く、全くどうにかならないものかと思います。道を歩くと水中を行くようです。こんな天候下で街頭演説をしている候補者の皆さんも、さぞや大変だろうと同情します。
さて、それはともかくとして、私はいま発売中の「新潮45」7月号に「トップの言葉 存在の耐えられない[政治答弁]の軽さ」という雑文を書いています。主に鳩山前首相の言動を検証したもので、菅政権となった今では、ちょっとタイミングを外したうらみはあります。で、私はその中でこんな見方を記しました。
《鳩山氏に話を戻すと、以前に話したこと、特に都合の悪いことはほとんど忘れてしまうのではないかとも思える。一方、外務省幹部によると、「鳩山氏はとても記憶力がいい」そうだ。
外国要人との会談前などに鳩山氏にブリーフィングをすると、実際の会談では紙を読まずに「九割方、説明した内容を正確に相手に伝えられる。ここ数代の首相の中でその能力は、最も優れている」(同幹部)という。
おそらく、記憶力はとてもいいが、思慮と知識はかなり浅く、他者(国民)とのコミュニケーション能力はもっと低いということだろう。》
まあ、単に私にはそう見えるという話なのですが、先日、作家の江藤淳氏が平成9年に出した著書「国家とは何か」を読んでいて、これと相通じるような記述を見つけました。それは、鳩山前首相の曾祖父、鳩山和夫元衆院議長の回想を紹介した部分でした。
《和夫が大学時代を回想した談話筆記にきわめて興味深い記述があります。「法科の僕は、極くの坊ッちゃんで、唯々本を読んで先生から教へられた事を記憶するだけで、世才がない」(「太陽」明治32年6月15日号)と。この点は、案外和夫の子孫たちにも、受け継がれているのではないか》
鳩山氏が辞任を表明した民主党両院議員総会での「ヒヨドリ」のエピソードにしても、ツィッターに記した「私に『裸踊り』をさせて下さったみなさん、有り難うございました」というつぷやきにしても、他者と意思疎通するということがそもそも根本的に分かっていない感じでしたしね。ちなみに、鳩山氏は21日のラジオ出演の際に、この「裸踊り」についてこうも述べています。
「こういった発想は既存なメディアではわからないと思う。既存のメディアではないところで国民の意思は動いている」
既存のメディアがいろいろな問題をフォローできずにいる点はその通りですが、私にはこの鳩山氏のコメント自体が何を言っているのかよく分かりません。というか、もうわけが分からない。8カ月間だけとはいえ、本当にとんでもない人を首相としていただいていたもんだとしみじみ感じます。
何にしろ、「言葉」を扱うのは、つくづく難しいものだと思います。しかし同時に、言葉はとても面白い。作家の筒井康隆氏の本の中で、「新聞記者のごとき文章…」として新聞記事の文章を悪文、駄文の典型として批判している箇所がありましたが、そうであっても、言葉にかかわる仕事は楽しいとも感じています。
そこで唐突ですが、大学時代には友人に「言葉尻をとらえて感動する」と言われた私が、高校時代に出会って感動し、今も思い出すとつい、にやついてしまう言葉を二つ紹介します。ともに、高橋留美子氏の漫画「うる星やつら」からです(記憶で書いているので、多少、不正確かもしれません)。高橋氏は天才だと思っています。
一つは、主人公の諸星あたると、主人公と敵対関係にある教師とが互いに気付かないまま、すぐそばで互いを陥れるための落とし穴を掘り続けている場面です。
「(お互いがすぐそばにいることを)そのとき二人は、知るよしもなかった。なぜ知るよしもなかったかは、知るよしもない」
ああ、言葉とはこういう風に遊ぶものだなと感動したものです。もう一つは、登場人物の一人の男装の女子高生、竜之介がなりゆきでクイズに出ることになり、困ってこうつぶやく場面です。
「しまった。オレは知性はあるが教養はねえ…」
知性と教養との違いをこれほどわかりやすく、たった一言で説明してしまうとはと感じ入りました。これらを読んでもう27年くらいたつわけですが、面白いと思ったことは忘れないものであるようです。普段は上司の指示や仕事の段取りを忘れてばかりいますが。ああ、また感動に出会いたいなあ。
でもまあ、菅首相の言葉には、今のところあまり期待できないかなあと感じています。まだ分かりませんが。
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