さて、菅直人首相についてです。産経は6月22日付の連載企画「新民主党解剖」(上)で、菅氏と30年以上の付き合いで、ときに政治行動をともにしてきた閣僚経験者のコメントを引用して「何やりたいのか分からない」という見出しをつけました。強い権力志向で小学生時代からの「将来は総理になる」という夢を実現したのはたいしたものですが、外交・安保などで野党時代とは全く異なる「現実路線」に転じた菅氏の目指すものの見えにくさを表現できると考えたからです。
で、やはり菅氏について取り上げた28日付の朝日夕刊(金子桂一記者の署名記事)を読んでいると、見出しは「上り詰めた さあ何をする」となっていました。菅氏自身は「最小不幸社会(私のパソコンで『さいしょうふこうしゃかい』と打って変換すると『宰相不幸社会』と出ます)を目指す」とかなんとか言っていますが、まあちょっと何を考えているのかわかりにくい部分がありますね。また、朝日の記事の本文にはこうありました。
《…あくなき上昇志向は、聞いた者の記憶に鮮やかに刻み込まれた。(中略)そしていま、権力の中心に座って何をするのか。(中略)そのままなだれ込んだ選挙戦。梅雨特有の蒸し暑さのなか、声をからす菅を見つめる聴衆の中に身を置いてみても、妙に冷めた感覚が残る》
なかなか凝った文章を書く人のようですが、それはともかく、首相の考えと手腕、政治手法はそれぞれ、日本社会の未来に直結するのだから重要ですね。私はこの点に関して、22日付のエントリ「本当に国家解体を目指す革命政権だったようです」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1665058/)であれこれ書いてみたわけですが、その中で、こんなエピソードを紹介しました。
《菅首相はかつて、周囲に「民主主義とは、政権交代可能な独裁だ」と持論を話していた》
これは別に、ただ事実そうだからそう紹介しただけだし、菅氏の考え方のいったんを象徴的に示していると考えたのですが、訪問者の中には私が「誇張」や「デマ」を書いているのだと思った人もいたようです。なので、最近の国会答弁で、実際に菅氏が似たようなことを滔々と述べている部分を改めて掲載します。
菅氏が副総理・財務相時代の3月16日の参院内閣委員会での、自民党の古川俊治氏とのやりとりです。(国会議事検索システムですぐ引っ張れます)
古川氏 …本来であれば、多数決のやっぱり限界というものを考えていただいて、多くの議員の意見を取り入れる、あるいは超党派の活動というものもある程度は進めていく。これが国会の審議を活性化することだと思いますので、私はそうあるべきだと思っているんです。そういう民主主義が本来の国会と内閣の在り方ではないかという気がするんですが、いかがでしょうか。
菅氏 …私は、ちょっと言葉が過ぎると気を付けなきゃいけませんが、議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだと思っているんです。しかし、それは期限が着られているということです。ですから、四年間なら四年間は一応任せると、よほどのことがあればそれは途中で辞めさせますが。しかし、四年間は任せるけれども、その代わり、その後の選挙でそれを継続するかどうかについて選挙民、有権者が決めると。
…一つの考え方だろうとは思います。しかし、「何をやりたいのかはっきりしない」人が、ひたすら独裁的にことを進めていいんだと言われても困りますね。その手法を徹底されて、われわれ国民がうれしいかありがたいかもまた、別の問題だろうし。それにしても、菅氏のいう「あるレベル」って、どの程度のレベルなんでしょうね。気になるところです。
一方、民主党内では選挙戦真っ最中だというのに、小沢一郎前幹事長が公然と菅氏や現執行部を批判するなど、参院選後に向けた波乱の兆しも見え始めています。独裁体質を持つ者同士、余計に反発し合うのかもしれませんが、なんだかなあ。
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5837 菅首相の持論「議会制民主主義とは期限を切った独裁」 阿比留瑠比

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